異論噴出の千葉大学長選 得票率1位なのに選ばれなかった「副学長」はどんな人か

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 千葉大が揺れている。

 今年1月25日、千葉大学は、同大学副学長で医学部付属病院長の横手幸太郎氏を新学長に決定した。ところがその直後から、学内の複数の教授会が、横手氏が選ばれた経緯について大学側に説明を求める「質問書」等を相次いで提出したのだ。

 時系列で並べると、以下の通りである。

・1月30日、「学長選考・監察会議」に対し、人文科学研究院教授会が選考基準等に関する質問書を提出
・2月7日、教育学部教授会が同様の質問書を提出
・2月15日、理学研究院教授会が同様の要望書を提出

 さらに学生やOBの有志も、選考過程の説明を求めるオンライン署名活動を開始し、
1万4280筆を提出した。

 県内屈指の名門大学で一体何が起きているのか。

「実は新学長を選ぶ『選考・監察会議』は、横手氏を選出する前に『学内意向聴取』を行っています。教授や講師たちが、事前に互選した候補者数名の中から、一人一票で“次の学長に相応しい人物”を選ぶ実質的な選挙ですが、そこでの横手氏の得票数は446票で2位だったのです。なぜ1位の候補者が選ばれなかったのか、疑問に思うのは当然だと思います」(千葉大関係者)

 1月19日に行われた学内意向聴取で得票数1位だったのが、横手氏と同じく副学長で人文科学研究院教授の山田賢氏である。山田教授の得票数は534票で、2位の横手氏とは88票差をつけている。

発想が面白かったから“優”

 ひょっとして、1位の山田氏の人格や素行に問題があったということはないのだろうか。

 山田教授の教え子で、20年ほど前に千葉大を卒業したというOBのAさんに話を聞いた。

「山田教授の専門は中国史で、主に明代や清代の社会構造を研究されていました。40代で教授になったという非常に優秀な学者です。卒業以来お会いしたことはないですが、これまで先生の悪口は噂でも聞いたことがないですね。人格者だと思いますよ。

 そもそも私が千葉大を目指したのも、高校生の時に入試説明会で山田先生の話に感銘を受けたのが決め手でしたから」

 地元出身のAさんはもともと大学で中国史を専攻したいと考えており、高校で日本史と世界史を両方選択。当時の千葉大史学科の入試では、どちらも必須科目だったためだ。だが、高校の教員から「両方取るなんて前例がない、どちらも中途半端になるだけで無謀だ」と言われたという。

「でも予備校に通うお金もなく、高校の授業で勉強するしかなかったんです。千葉大の入試説明会で山田先生にそのことを相談したら、“本当にやりたいことがあるなら、無謀なんてことは決してない。ぜひうちを受験しなさい”と言ってくれたんです」

 晴れて千葉大に入学したOB氏は、山田教授からさらに様々な薫陶を受けたそうだ。

「授業に手ぶらでやってきて、資料も何も見ずに1コマしゃべり続けることもありました。いちばん記憶に残っているのは、ある年の期末試験です。山田先生の試験は論述問題1問だけ。私は試験時間の終わり間近になって、自分の回答が論理破綻していることに気付いた。慌てて最初から書き直したものの時間切れで、けっきょく半分くらいしか書けずに提出しました。

 ところが、フタを開けたら成績は『優』だった。驚いて先生の研究室を訪ねて理由を聞くと、“優なのにそんなこと聞かれるのは初めてだよ”と笑いながら、“たしかに回答は未完成だったけど、発想が面白かったから優にしたんだ”と言われました」

 また、別のOBで山田教授のゼミ生だったBさんも、「型破りな先生だった」と懐かしむ。

「大量の漢文を白文のままスラスラ読まねばならず、ゼミの授業についていくのはけっこう大変だった。僕も当初は山田先生みたいな歴史学者になりたいと思っていたものの、間近で接して“自分には無理だ”と悟り、大学院には進まず就職することにした。

 先生に内定が決まったことを報告すると、“どうせなら、卒業論文は君がこれから就く仕事に関係する内容にしなさい”と言われてびっくり。就職先は歴史とも中国ともまったく関係なかったのですが、“そのほうが君の将来に役立つだろう”と」

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