松本人志への「遊びは三流以下」発言で絶賛された上沼恵美子 「M-1」審査員で意識していたこととは何か

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「超一流の人間やったのに」

 週刊誌で報じられた松本人志の性加害疑惑は、芸能界にも衝撃を与えた。報道番組やワイドショーでも連日のように取り上げられ、さまざまな人がコメントを残している。

 松本と近い関係にある芸人たちが、奥歯にものが挟まったようなどっちつかずの発言に終始する一方で、はっきりと自分の考えを述べていたのが上沼恵美子である。彼女は松本よりも芸歴が上であり、所属事務所も違うということもあり、気を使わずに本音を堂々と言える立場にある。

 それでも、芸能界のしがらみがある中で、思い切った直言をするのは勇気の要ることだろう。上沼は1月14日放送の「上沼・高田のクギズケ!」(読売テレビ・中京テレビ)の中で、今回の騒動について大演説を行った。

 上沼は、30年にわたってトップを走り続ける松本の功績をたたえ、過去には後輩の不祥事のために頭を下げたこともある松本の人間性を褒めた上で、今回の件については「脇が甘かった」「注意をする人に恵まれなかったんかな」「超一流の人間やったのに、遊びは三流以下やったね」と、厳しい言葉を投げかけた。忖度ゼロの堂々とした物言いに、絶賛の声が相次いでいた。

島田紳助がお手本としたほどの漫才

 最近では「M-1グランプリ」の審査員を務めていたこともあり、上沼の顔と名前が関西以外の若い世代にも浸透してきた印象がある。しかし、もともと彼女は関西を拠点に芸能活動を続けていたため、関西以外の地域ではそこまで知名度が高いわけでもなかった。

 上沼恵美子は、姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里として1971年に芸能界デビューした。当時まだ高校生だったにもかかわらず、卓越した話術で瞬く間に人気者になった。下積み時代の島田紳助は、海原千里・万里の漫才を見て、セリフをすべてノートに書き起こし、その面白さの秘密を研究した。そして、それを元にして自分たちの漫才を作り上げた。あの紳助がお手本にするほど、その漫才の技術は圧倒的に優れていた。

 海原千里・万里はアイドル的な人気を博していて、上沼は「お笑い界の白雪姫」と呼ばれていた。全盛期にはテレビ・ラジオのレギュラー番組を十数本抱え、歌手としてレコードも出しており、1976年にリリースされた「大阪ラプソディー」は40万枚を超える大ヒットを記録した。

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