不老不死は実現できる? 日本がリードする「老化細胞除去薬」の最前線

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120歳まで生きるなら何度も「思春期」が必要

 そのために必要なものとして「思春期」というキーワードを提示する研究者がいる。東京大学名誉教授で、帝京大学先端総合研究機構教授の岡ノ谷一夫氏だ。生物心理学が専門だが、老化や長寿を思春期という視点から読み解く。

 岡ノ谷教授は自身が長生きしたい理由を、「研究室の本棚にある本を全部読むだけで、あと100年はかかる。だから長生きしたいと思う」と話す。一方で、「どれだけ健康長寿でいたとしても、その本を読みたいという好奇心や欲望を同じレベルで持ち続けるのは難しいかもしれない」。つまり幸せに生き続けるためには、肉体的に健康であるだけではなく、精神的に豊かである必要がある――そのために大切なのは思春期ではないかと岡ノ谷教授は言うのだ。

「社会環境は常に変化していきますから、社会的な動物であるほど、社会の掟を学ぶ思春期・青年期の段階が重要となってきます。どれだけ体が健康でも、社会の変化に適応できなければ幸せには生きられない」

 しかも老化すると、行動の多様性が減り、社会への関心が失われ、孤立しがちになると岡ノ谷教授は言う。

「未来」のために「今」が犠牲に

「老化を治療してかつ楽しく生きるためには、胸を焦がすような思春期・青年期が必要だと思います。120歳まで生きられるとしたら、40代、60代、80代と3度くらいは思春期性を取り戻したい。つまり社会との距離をもう一度学び直すことで、生きながら生まれ変わるということです」

 老化を治療して健康なままピンピンコロリと死を迎えられる社会が理想であることに異論を差し挟む人は少ないはずだ。しかし、科学技術の発展の速さに、われわれの「老化の哲学」は追い付けているだろうか。

 一億総アンチエイジング社会の中で、われわれは老化防止に過剰に取りつかれ、右往左往し、健康にいいと聞けば、あれをやろうこれをやろうとその情報の確かさと関係なく飛びついてしまう。私の知人の中には、長生きしたいがために、ストレスがかかるからと会社勤めを忌避し、毎日数時間の運動をこなし、肉を食べず、できるだけ人との接触を避けて生きている人まで存在する。健康や長寿にとらわれ過ぎている人たちは少なくない。

 それは言い換えれば、「未来」を生きようとしている行為とはいえないだろうか。長生きしたところで幸せかは分からない。沖縄の村の長寿の先達たちはそう口にしていた。しかし、私たちはその不確かな未来に向けて、時に「今」を犠牲にしつつ老化防止に励み、狂奔するのをやめることができないでいる。

 老化を病と捉えるならば、科学技術の発達によってその病が治療できることは喜ばしいことだろう。一方で、程度の差こそあれ、老化に抗うことに過剰にとらわれるという、「未来病」とでも言うべき新種の病に社会がかかっているようにも見える。われわれはそんな時代を生きているのかもしれない。

河合香織(かわいかおり)
ノンフィクション作家。1974年生まれ。障害者の性の問題を扱った『セックスボランティア』がベストセラーに。2018年刊行の『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で、第50回大宅壮一ノンフィクション賞と第18回新潮ドキュメント賞をダブル受賞。最新刊は、昨年11月に出版した『老化は治療できるか』。

週刊新潮 2024年2月8日号掲載

特別読物「人は何歳まで」生きられるのか 大宅賞作家が取材した『老化の哲学』」より

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