「回を重ねるごとに、観るつらさが増す」では視聴者も脱落する…永野芽郁「君が心をくれたから」に必要なもの

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理想化された純愛はいいのだが

 主人公の二人は、太陽が交通事故に遭う前までも不幸を背負っていました。雨は母親から虐待を受けたために祖母に育てられ、太陽は5歳のときに、自分の火遊びが原因で母親を亡くしています。だから、せめてこれからは少しでも幸せに、と願いたいところですが、そうは問屋が卸してくれません。

 それに、花火職人をめざしていた太陽は、色覚異常で赤が認識できません。だから花火をつくるのは困難だし、信号の色がわからないから事故にも遭います。

 そんな不幸に上書きするように、さらに不幸が 見舞います。第2話の最後で、もとはパティシエをめざしていた雨の味覚が失われます。第3話では、次に嗅覚が奪われることが示されます。

 このドラマ、高校時代に相思相愛の二人が、結局、たがいに思いを打ち明けることもなく離れ離れになり、ともに恋情を抱いたまま10年後に再会するという、現実には滅多にないほどの純愛物語です。二人が生きている時間も、10年前の高校時代といまにほとんどかぎられ、現実世界の猥雑性は除かれています。そして20代後半になっても、いい大人がなかなか思いを切り出せません。

 そこがいいんです。冒頭で記したカタルシス同様、純粋なものは心を浄化してくれます。それに純粋で理想化された恋愛は、多くの人にとって、願ったところで実現困難な理想形だからこそ、むしろ憧れの対象になります。憧れるからこそ、純愛が叶ってほしいと願います。

 でも、このドラマでは、救いが見えないまま不幸が降り積もります。第4話では、雨は味覚に続いて嗅覚を失い、太陽から告白されても、「ほかに好きな人がいる」といって断ってしまいます。最愛の男性が、五感を失う自分と一緒にいて不幸になってはいけない、と健気な判断をするのです。そのうえ、市役所職員の望田司(白洲迅)の協力を仰いで、司と付き合っているフリをし、太陽に嫌われようとします。

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