「回を重ねるごとに、観るつらさが増す」では視聴者も脱落する…永野芽郁「君が心をくれたから」に必要なもの

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 人は太古の昔から悲劇を愛してきました。アリストテレスは紀元前4世紀に書いた『詩学』に、悲劇の効用について「心のなかに溜まっていた澱のような感情が解放され、気持ちが浄化される」と記し、それを「カタルシス」と名づけています。悲劇には心のなかに怖れや憐れみを呼び起こし、鬱積した感情を除去する効果があるというのです。

 悲劇を構成する最大の要素が不幸であることは、いうまでもありません。すると、演劇でも、映画でも、テレビドラマでも、不幸をてんこ盛りにすれば、より大きなカタルシスが得られるのでしょうか。しかし、そういうものではないようです。

 私事で恐縮ですが、私はかなり以前から毎日、ヤクルトを飲んでいます。最近は「ヤクルト1000」というヤツです。ヤクルトを飲むようになってからは明らかに丈夫になり、風邪もまったくひかなくなりました。そこで、つい1日に4本も5本も飲んだことがありますが、すると糖分の摂取過多で、別のリスクが高まると注意されてしまいました。

 不幸も同様で、摂りすぎるとむしろカタルシスから遠ざかってしまうようです。そんなことを、現在放送中のフジテレビのいわゆる月9ドラマで、長崎が舞台の「君が心をくれたから」を観ながら考えています。

 主人公の逢原雨を演じるのは永野芽郁で、相手の男性の朝野太陽は山田裕貴。いまをときめく二人によるラブロマンスです。二人は同じ高校の先輩と後輩で、人に心を開けなかった雨に、一人だけ心を通わせたのが太陽でした。それから10年、二人は再会してよろこび合いますが、それもつかの間、太陽が自動車にひかれてしまいます。

 雨が途方に暮れていると、あの世から二人の案内人、日下(斉藤工)と千秋(松本若菜)が現れ、「君が心を差し出すならば、いまから奇跡を起こしてあげよう」と告げます。しかし、「心を差し出す」とは、雨の五感を差し出すことだったのです。

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