常識の修正を拒否した松本人志、ダウンタウンに批判的だった横山やすし…「天才」2人の歩みは今になって重なる

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時代と社会通念の変化

 それでも90年代半ばまでは松本のことが好きな人のほうが、圧倒的に多かった。94年には自分の半生やお笑い哲学を綴った初著書『遺書』(朝日新聞出版)がダブルミリオンセラーになったくらい。

 しかし、90年代の半ば以降になると、アンチも目に付き始めた。松本は変わらなかったが、時代の社会通念の変化が始まった。「ダウンタウンのごっつええ感じ」の番組内容について新聞の投書欄に批判が相次いで載るようになる。

「(番組内の)コント、『発見!日本一気の長いラーメン屋さん』は、タレント同士のゲーム的要素があるとはいえ、複数で1人をひどい目にあわせる、『いじめ』の現場を無理やり見せられたような後味の悪い、不快な内容でした」(東京都内の女性からの投書、毎日新聞96年2月29日付)

 松本の芸の中には早い時期から後輩らへのイタズラ、ちょっかいがある。これが「いじめ」にも見えてしまうようになったから、笑えない人が出てきた。

 また、町山氏が評したように、松本を「尊大」「女性蔑視」と見る人が出てきたのも90年代半ばからだろう。背景にはコンプライアンス意識の高まりなど、やはり時代と社会通念の変化がある。

なぜ「憎まれ役」が入れ替わったのか

 浜田と松本の間で憎まれ役が入れ替わった背景には2人の仕事に対する考え方の違いもある。浜田には協調性がある。東京進出当初の浜田は「本業はお笑い」と考え、それ以外の仕事はバイトと捉えていたが、そうではないと思い始める。

「作る作業はドラマでもお笑いでも一緒や、と気づいた(中略)。一生懸命やらんと、って」(日刊スポーツ98年6月28日付)

 これなら周囲は一緒に仕事がしやすい。一方、松本は唯我独尊。松本、やすしさんら「天才」芸人にはありがちだが、自分の才能を信じ切っていた。07年の初監督映画「大日本人」が賛否両論だったことについて問われると、こう答えている。

「う~ん。ボクが何かをやると、そうなるんですよ。だって60、70点を狙ってやらないですからね。」(デイリースポーツ09年9月7日付)

 安打なんて狙わず、常にホームラン狙い。それどころか世間ウケや映画各賞も二の次なのだ。仕事を評価するか否かは自分の満足度次第。

「作品ができた瞬間に、自分の中に納得しているかどうかでしょうね」(同)

 これでは仕事仲間は時に困るだろう。何が松本の納得か分からないのだから。このため、松本は自分が納得する番組だった「ダウンタウンのごっつええ感じ」が、97年のプロ野球セ・リーグ優勝決定戦(ヤクルト×阪神)と重なり、放送延期となると、激怒した。それだけで済まず、降板したため、番組は打ち切りになった。協調性などあったものではない。

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