「16歳JKと半同棲」「浮気に悩んだ少女が自殺未遂」 慶応SFCのタレント学者・若新雄純氏の知られざる過去【全文公開】

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ケチな男なんだって

「若新氏のことが好きで離れたくなかったのです。お母さんはこの時、初めて二人の関係を把握。娘がそこまで好きな相手ならばと、若新氏に御礼の電話をしました。もちろん彼がすぐに救急車を呼ばず、A子さんを放置したことなど知らなかったはずです」(X氏)

 A子さんの母親に、この時の騒動について聞いた。

「わかしん? それ、ワカのこと?」

 母親は若新氏がすっかり名の通る存在となっていることを知らなかった。

「私もあの時は大変であんまり覚えてなくて……。娘はワカにゾッコンでしたね。たまに帰ってくればワカの話ばかり」

 ただ、と言って、

「ケチな男なんだってよく聞かされました。スーパーに買い物に行く時も、見切り品が売っていそうな時間帯を狙って、まずいおにぎりやお惣菜を買ってくるんだって。彼と電話は1回くらいしたかなぁ。娘の人生だと思って好きにさせていましたが、話の様子からもてあそばれていることは分かっていましたよ。会いに行ったことは1度だけありますが、娘がもう捨てられかけていた頃だったと思う。彼が経営していたという歌舞伎町のバーに行って。何を話したかは覚えていない」

 倹約家なのは悪いことではない。しかし、未成年相手に次のような話はどうか。

「A子ちゃんは若新にたかられていました。“お金ちょうだい”ってうるさいって、よく言っていました。面倒臭いから何かを買ってあげたことがあるとも話していた。そんな男やめなさいって言っても、彼女は全く話を聞かなくて」(別の知人女性)

 自殺未遂後も若新氏の浮気は収まらず、A子さんが高校3年生の夏ごろに関係は破綻した。だが、A子さんは若新氏のことを諦めきれず、ずるずると関係は続いた。

「都合のいい時だけ呼びだされる便利な女として、です。なにしろ齢は10歳差。彼女は言われるがままに籠絡されていた。そんな関係は大学を卒業するまで継続しました」(X氏)

 憧れの慶應SFCは不合格だったため、失意のうちにコミュニティーにも顔を出さなくなり、やがてA子さんは姿を消した。

 A子さん本人にも話を聞いた。彼女は「今は幸せに暮らしており、彼のことを何とも思っていない」と、当初は話すことを拒んだ。

 しかし、やがて事実確認に協力してくれるようになった。公表しないことを条件に、当時二人が交わしていたメールも彼女は示したが、そこには浮気をわびる若新氏の言葉や性的な関係を裏付ける文言などがいくつも残っていた。

 彼女が取材に応じたのは、自分が薬の過剰摂取で意識を失った際の、若新氏の行動を初めて知ってショックを受けたことなどが理由だ。

 しかしもうひとつ、取材を受け始めた彼女の中で、若新氏のある活動への疑問が浮かんだことが大きい。

 それは、若新氏がA子さんと別れた後の14年、福井県鯖江市で手がけた「JK課」のプロデュースである。

 JKとは若者用語でいう女子高生。そのネーミングと、地方創生にあたって女子高生がまちづくりに参加するという斬新なアイデアで、彼は一躍メディアの脚光を浴びた。事業や、若新氏と女子高生たちとの交流は10年たった今も続く。

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