「いきなり!ステーキ」を手放した一瀬邦夫氏(81)が両国に和牛ステーキ店を開店 本人が自ら厨房に立つ理由

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 前編【「いきなり!ステーキ」を創業者・一瀬邦夫氏(81)が語る 「急に店が増えすぎて管理者も不在。僕のミスリードだった」】からの続き。

 小さなキッチンの経営者から「ペッパーランチ」チェーンを成功させ、2013年に「いきなり!ステーキ」の1号店をオープン。6年後には全国500店舗にまで拡大したペッパーフードサービスの創業者・一瀬邦夫氏(81)は2つの人気チェーンを持つまでになったが、そこには過剰出店という落とし穴が待っていた。結局、22年8月、一瀬氏はペッパーフードサービスを去ったものの、昨年11月に「和牛ステーキ和邦」をオープン。改めて本人に話を聞いた。(前後編の後編)

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――なぜそこまで店舗を増やしたかったのですか。

一瀬:一部上場のパーティーで「200店出す」と宣言し、店舗を増やすこと自体が目標になってしまった。今思えば、あんな出店の仕方などせずに、エリアも考えるべきだった。でも、次から次へと物件を持ってくるところがあるし、銀行もどんどん融資してくれた。もっと大事に育てるべきでした。

――19年、ペーパーフードサービスは赤字に転落。20年には国内の不採算店100店以上を閉店し、アメリカからも撤退を発表した。「いきなり!ステーキ」は単価を上げるなどしたが、かえって客離れは進んだ。そして「ペッパーランチ」事業は売却することに。

一瀬:85億円で売却できたことで、会社はなんとか持ちこたえた。さらに立ち直らせようとはしていたんですが……。

――22年8月、一瀬氏は業績不振の責任を取って辞任した。

一瀬:社長を辞任した時、後を継いだ息子から「前社長の影響力が強いから、取締役としても会長としても残らないでくれ」と言われたので、全部離れました。

――「いきなり!ステーキ」はいまだ立ち直れていないと報じられているが、どう見ていますか。

引退期間

一瀬:まだ1年しか経っていないからね。息子たちも頑張っていますし、自分は会社を離れた身ですから、それについて言うことはありません。

――社長を離れてからは何をしていたのでしょうか。

一瀬:だらしなくなるのは嫌だから、早起きはしていた。映画を見たりドライブ行ったり……。でもね、何も仕事をしないのは僕の性に合わない。社長を辞めてからかえって人付き合いも増えたんだけど、「じっとしていられないでしょ」なんて言われていました。そうは言っても秘書もいないし、組織もない。この店を出そうと思ってからオープンするまで大変でした。

――現在の「和牛ステーキ和邦」は、かつてペッパーフードサービスが営業していた「ステーキくに」の店舗と同じだ。同社を去った一瀬氏が、なぜここに店を構えることができたのだろう。

一瀬:実は、いい物件がないか探したんですけど、見つからなかった。そのうち今の社長(息子)が、この店をやめるというので、それならと僕が買い取ったんです。

――結局、ペッパーフードサービスのライバルになるのでは?

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