「消費者金融で借りた100万円が一瞬で消えて…」 「純烈」リーダー・酒井一圭が語ったアツ過ぎる競馬愛

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 競馬好きが高じて2022年に地方競馬の馬主にもなった「純烈」リーダーの酒井一圭(48)。かつては多額の借金を抱えながら競馬に打ち込んだという酒井が語る競馬人生とは――。

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「身長○○センチ以下 
体重○○キロ以下」

 中学生の時に偶然目にした競馬学校の入学案内ポスター。

 僕の中で、「純烈」そして「紅白歌合戦」出場への歯車が回り出したのは、まさにこの瞬間だったと言っても過言ではありません。

 突然の告白に面食らわれた方もおられるかもしれませんが(笑)、「競馬と純烈」三十幾年の物語に、しばしお付き合いください。

 僕が中学・高校時代を過ごした千葉県白井市は、JRAの競馬学校や、競走馬の育成牧場である「西山牧場」の分場があったところで、馬がいるのが当たり前でした。さらに中山競馬場も近かったし、当時は「芦毛の怪物」オグリキャップが活躍する第2次競馬ブームの真っ只中。競馬を始めるきっかけには事欠かない環境で、中学生の頃から祖父や親父に競馬場に連れて行ってもらっていました。

ジョッキーになれないという現実

 そんなある日、偶然目にしたのが冒頭のポスターだったんです。でも僕の現在の身長は186センチ。中学時代はもう少し低かったとはいえ、すでにジョッキーとしては大きすぎるのは明白でした。別にジョッキーになる夢を具体的に思い描いていたわけではありませんが、ポスターを見た瞬間、ジョッキーにはなれないという厳然たる事実だけが僕の胸に突き刺さったんです。

 強い喪失感に襲われた僕は「厩務員ならどうか」と地方の厩舎に飛び込みで電話を掛けたこともありました。でも、厩務員も競走馬に乗りますから、大柄の自分にはどうにも難しい。

「これはもう自分がオーナーになるしかない」。競馬にコミットして生きていくために15歳の僕が出した答え、それが「馬主」になることだったのです。

 けれど、馬主になるためには経済力が必要。9歳のときに「逆転あばれはっちゃく」で子役デビューしていた僕は夢をかなえるため、高校2年の時に再び芸能活動をスタートさせました。

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