池田大作に心酔した元ドジャースのスターの名前とは 日本でもプレーし「試合中にベンチで“ナムミョウ~”と題目を」

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 大谷翔平選手に続いて山本由伸投手も加入とあって、ドジャースファンはお祭り騒ぎ。関連グッズの売れ行きも好調で、とくにレプリカのユニフォームは入手困難。ところが先に逝去した創価学会の池田大作名誉会長は、半世紀前に貴重なオリジナルを手に入れていた。

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 チームカラーの“ドジャー・ブルー”を基調とするユニフォームが、池田氏にもたらされたのは昭和47年の秋。事情を知る学会関係者が当時を振り返る。

「この年の10月、静岡県富士宮市の日蓮正宗総本山大石寺に、創価学会が寄進したご本尊を安置する正本堂が完成しました。連日、躯体完成式や落成式、各種法要が営まれたものです」

 資料によると、10月12日の上棟式には海外から1350人が参加したとある。

「その中には複数のメジャー選手も含まれ、熱心な信者だったウィリー・デービス選手もいたそうです。この数年後、池田氏はサインバットやボール、そして背中に“IKEDA”と背番号100をあしらった特注のユニフォームを贈呈された」

 自ら草野球チームを率いるほどの野球好きだった池田氏は、大喜びしたという。

ベンチでお題目

 そのウィリー・デービスとはどんな選手だったのか。スポーツライターによれば、

「左投げ左打ち、パンチ力に富んだ打撃に加えて、シングルヒットを二塁打に、二塁打を三塁打にしてしまう俊足が最大の魅力でした。身長186センチ、体重84キロの体躯を駆る韋駄天ぶりには“コメット(彗星)”の愛称がつけられたほどです」

 14年間在籍したドジャースでは2度のワールドシリーズ制覇に貢献したほか、昭和44年には31試合連続ヒットを記録。半世紀を超えてチーム記録を塗り替えた。

「ただ、奇声を発するなどの奇行が目立ち、チーム内で浮いていた。昭和46年ごろ、見かねた妻の勧めで学会に入信し、精神的な落ち着きを取り戻したそうです」

 ご利益があったか、その後はオールスターに2度出場し、3年連続でゴールドグラブ賞を手にしている。

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