琴光喜は野球賭博問題で解雇も“強さ”は本物だった…遅すぎた大関昇進が象徴する波乱の土俵人生

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まさかの大関昇進見送りから苦難の日々へ

 新しい時代のスター、琴光喜の誕生だった。

 ワシの目に狂いはなかった……。

 このまま、一気呵成に大関に駆け上がってほしい――。

 貴乃花、武蔵丸の時代が終焉を迎えようとしていたこの時、師匠のみならず、相撲フアンの願いだったに違いない。

 翌平成14年初場所、関脇で12勝を挙げた琴光喜は、秋場所からの3場所で34勝とし、大関昇進が見込まれた。ところが、結果はまさかの見送り――。当時、魁皇、千代大海武双山、雅山と四人の大関がいたことなどが大きな理由とされたが、入幕から時間が経っておらず、25歳とまだ若かったことで、再びチャンスがやってくるだろうという期待感をこめての見送りだった。

 この年、ライバル・朝青龍は急速に力をつけて、関脇から一足早く大関に昇進。九州場所、翌年初場所の連続優勝で、一気に横綱昇進を決めた。そんな中、琴光喜は長く関脇の地位でもがき続けた。

 実力は十分。平幕に落ちれば、大勝ちして実力を見せつけるのだが、関脇でコンスタントな成績が残せない。優しく穏やかな性格が、勝負師向きではなかったのかもしれない。気がつけば、入門から8年が経ち、年齢はすでに30歳となっていた。

「辞めてしまえ!」の激に奮起

 平成17年、相撲協会を定年となった師匠は、娘婿の若に師匠の座を譲ったものの、精刀的に稽古場に姿を見せ、引き続き、琴光喜に檄を飛ばしていた。そして、平成19年春場所、久しぶりに関脇で10勝を挙げた琴光喜に、大関取りのラストチャンスが巡ってきたのだ。このチャンスに、先代師匠はこう言い放った。

「ミツキ、このままダラダラ相撲をやっていても恥ずかしいだけだ。辞めてしまえ!」

 このひと言に、琴光喜は奮起した。

「がんばります! 見ていてください」

 普段は物静かな琴光喜が31歳にして見せた、決意表明だった。

 男の決意は揺るがなかった。夏場所12勝、名古屋場所では13勝で、35勝(3場所)という文句のつけようのない成績を挙げた琴光喜の大関昇進が決まった。

 口上を述べて、両手にお祝いの鯛を持つ笑顔の琴光喜を、先代は誇らしげに見守った。ところが――。それからわずか3週間後、先代は、「大関・琴光喜」の土俵を見ぬまま、帰らぬ人となってしまう。

 琴光喜は強い自責の念に苛まれた。先代の厳しい言葉で大関になれた。大関昇進を決めた時には、「これからだぞ、ミツキ」と優しく言葉をかけてくれた先代……。ライバル・朝青龍は横綱として一時代を築き、すでに、69代横綱・白鵬の時代へと突入していた。同じ部屋には、一足早く大関に昇進した琴欧州もいる。

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