阪神・オリックス「日本シリーズ余話」 岡田彰布が比嘉幹貴を守った“12年前の忘れがたき猛抗議”

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かつての本拠地で“歓喜の舞”

 2023年の日本シリーズは、阪神とオリックスの「関西ダービー」となり、最終の第7戦にまでもつれ込んだ激闘は、阪神の38年ぶり日本一で幕を閉じた。阪神・岡田彰布監督にとって、かつての本拠地・京セラドーム大阪での“歓喜の舞”だった。

 2010年からの3年間、オリックスで指揮を執った岡田だったが、その間の成績は5位、4位、最下位と、優勝はおろか、Aクラスにも入ることができず、失意のまま、2012年のシーズン残り9試合の時点で、事実上の解任通告を受けている。

 11年ぶりの現場復帰となった古巣・阪神で、自身が指揮を執った2005年以来、18年ぶりのリーグ優勝。CSファイナルステージも突破しての日本シリーズは、パ3連覇のオリックスとの対戦となったが、岡田のように、かつて率いた球団と日本シリーズで対決することになった監督は、1956~58年の3年連続で巨人と対戦した西鉄・三原脩と、2000年に巨人と対戦したダイエー・王貞治、今回の岡田を含めてもわずか3人しかいない。

 そのオリックスには、岡田時代にプレーした選手が4人、まだ現役で残っている。岡田オリックスの4番打者・T-岡田、岡田がリリーバーに転向させ、メジャーを経て、今もなおオリックスの守護神に君臨する平野佳寿、2011年ドラフト1位の遊撃手・安達了一、そして41歳の中継ぎ右腕・比嘉幹貴だ。

 今回は、その4人の中から、比嘉が今も感謝しているという、岡田監督の“猛抗議”のお話を紹介したい。日本シリーズで比嘉が岡田の前で活躍したときに、ご披露したいと思って取材していたネタだったのだが、シリーズ中にはそのタイミングがうまくつかめなかったので、年の瀬の“番外編”としてみた。

「技術を摘んだらアカンやろ」

 日本シリーズ開幕前日。

 私は、京セラドーム大阪の地下駐車場で、比嘉を待っていた。

「えっ、僕ですか? 何かあります?」

 プロ14年、413試合登板はすべてリリーフ。一度も先発マウンドに立ったことはない。その渋い存在感を放つベテランに、あえて、日本シリーズの開幕前日に聞いておきたかったことがあった。

「ああ、覚えてますよ。ここの西武戦ですよね」

 2011年8月13日、京セラドーム大阪での西武戦。当時2年目の比嘉は、終盤8回のマウンドに立っていた。

 この右腕の持ち味は、巧みな「けん制」にもあった。1死一塁の場面。素早いけん制に、一塁の嶋田審判は「アウト」。ところが、そのジャッジとほぼ同時のタイミングで、友寄球審が「ボーク」のコール。一塁審判の判定は覆った。試合後、友寄球審は「初めて比嘉君を見ましたが、足が一塁方向に踏み出していない」と説明した。

 この“食い違った判定”に、岡田監督が猛抗議。そのやり取りの中で、指揮官の怒りはさらにヒートアップする。

「比嘉のけん制、初めて見たから、って。審判もプロやで。信じられんよ。そんな審判、アカンやろ。12球団一、けん制がうまいと評判で、ドラフトしたんよ。2軍でも、一度もボークは獲られてへん。けん制も技術やで。あれで給料もろとんのや。技術を摘んだらアカンやろ」

 その執拗な抗議は、まさしく、比嘉を守るためだった。

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