大阪万博 350億円「リング問題」の本質 「無駄」論争で置き去りになっていることがある

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 2025年に開催される大阪・関西万博の会場に建設中の大屋根、通称「リング」が物議をかもしている。約344億円とされる建設費用に対し、「世界最大級の無駄遣い」「世界一高い日傘」といった批判の声が上がっているのは、多くの人が聞きおよんでいると思う。

 4月13日から10月13日まで184日の会期にだけ使用し、終わったら撤去してしまう構築物に、これほどの巨額を投じるというのだから、無駄を指摘する声が上がるのは、当然といえば当然だ。しかも、自見英子万博担当大臣が、このリングの意義について「日よけの熱中症対策として大きな役割を果たす」と説明して炎上。その後、視察して「間近で見ると迫力があり、日本の美もある」と評したが、たったそれだけのものであるなら、そこに350億円近くも投じるのを、無駄だと思わないほうがどうかしている。

 だが、じつは、責任者のはずの自見大臣は、リングの本質についてなにも説明していないに等しい。まずはリングとはどんなものであるのか、確認しなければなるまい。

 リングの規模は幅30メートル、高さ12~20メートル。1周は2キロで、万博会場の中心部をぐるりと取り囲み、来場者は屋根の上と下を回遊できるという。これを木造で構築するのが最大の売りで、しかも、日本の伝統的な「貫工法」で組み立てられる。

 日本の伝統的木造建築は、木材に継手や仕口と呼ばれる凹凸を加工し、それを接合して組み上げられてきた。基本的に金物を使わず木材を組み合わせるだけだから、いったん加工してしまえば組み立てるのは容易で、しかも簡単に解体できる。日本には木造の歴史的建造物が、元来建っていた場所から移築されたうえで保存されているケースが多いが、それは「貫工法」で建てられ、解体や搬送が容易だったためである。

 さて、リングに使用される木材は約2万立方メートルで、主に梁や床材には国産の杉材 などが使われるという。

 主にポジティブな側面を記したが、ネガティブといわざるをえない面もある。使用される木材は、伝統的建造物とは異なって無垢材ではなく集成材である。しかも、国産だけではこれだけの量の集成材は賄えないため、柱などにはフィンランド産のアカマツなどが使われるという。

 また、伝統的な貫工法では原則的に釘などは使わないが、リングはボルトやナットで補強される。これについては11月24日の衆院予算委員会で、立件民主党の森山浩行議員が「釘は使っていないけど、ボルトやナットは使ったりしていますね?」と追及。経産省の審議官から「一部に活用している」という回答を引き出すと、「鉄を使ったりボルトやナットを使ったものは、伝統工法とはいいません」と切り込んだ。

木造建築の可能性を国内外に訴えるチャンス

 ここまでの話から、リングの効用と問題点を整理してみたい。最初に効用だが、第一に木造だということだ。

 戦後日本はコンクリート万能主義のもと国土が整備されてきたが、コンクリートには耐用年数がある。鉄筋コンクリート建築の税制上の目安となる法定耐用年数は47年で、現実にはもっと長く使えるというが、内部の鉄筋が錆びることと相まって、よほど入念にメンテナンスしないかぎり、100年、200年と持つものではない。一方、木造建築は法定耐用年数こそ22年だが、文化財となっている伝統建築を見てもわかるように、素材や建て方、メンテナンス次第でかなり長持ちする。

 では、環境への負荷という点ではどうか。SDGsという流行語を使うと話が安っぽくなるので、あえて使わないが、SDGsが好きな人はそれにからむ話だと思ってもらっていい。全世界でのCO2の排出量のうち、建設部門が占める割合が37%といわれており、それを削減することが急務であることに争う余地はない。その点で木造建築は、建築時に排出されるCO2の量が少なく、建築後も木材にはCO2を固定する特質があり、解体後の処理も容易で再利用もしやすい。

 また、国産材の使用率が高まれば林業が活性化し、木材の伐採と使用を繰り返すことで、荒れた山林の再生にもつながる。それこそ杉材の伐採が進めば、スギ花粉症対策にもつながるだろう。また、貫工法のような先細りの伝統工法の維持と発展にも結びつき、なにより木造建築によって形成されてきた日本の伝統的な景観の再生もつながりうる。

 むろん、リングをひとつ造っただけで、上記の課題が解決するわけではない。問題はそんなに単純ではないが、きっかけにはできるはずである。万博という国内外から多くの人が集まる場を、木造建築の価値を通じて、環境への負荷、日本の伝統技術の保持、伝統的景観の維持と再生、山林の再生、林業の活性化……と、さまざまな課題を考える機会にする。リングが存在することで、こうした課題について世界を巻き込み、世界に影響を与えながら議論できる。その結果、上記の課題が一歩でも二歩でも前進するなら、350億円はけっして高くはないだろう。要は、使い方次第ではないのか。

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