がぶり寄りの人気力士・荒勢は亡くなって15年、ウイスキーCMで人気も実は…魅力は見た目と素顔のギャップだった
現役時代は威力あふれるがぶり寄りの技を極め、引退後は俳優・タレントに転身。時代劇や人気バラエティー番組に出演し、参院選にも出馬……と、荒勢さんのセカンドキャリアには驚かされたというファンも多いだろう。2008年の夏に58歳で死去してから早15年、ギャップこそ最大の魅力だった荒勢さんの相撲人生とその魅力を振り返る。※武田葉月『大相撲 想い出の名力士たち』(2015年・双葉文庫)から一部を再編集
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「自分から飲むことはほとんどないです」
龍馬の郷・土佐に生を享け、濃いもみあげと野武士のような風貌で、男くささ全開だったのが、荒勢だ。
低い重心からのがぶり寄りは、当時の巨漢力士・高見山らをも真っ向から土俵外に運ぶ威力があり、貴ノ花、三重ノ海ら大関陣をも苦しめた。
荒勢を全国区にしたのは、なんと言ってもウイスキーのCMだろう。なみなみとウイスキーが注がれたジョッキを手に、荒勢は吠える。
「レッド、大盛り!!」
相撲も強いが、酒も強い。男の中の男、荒勢の起用で、サントリーレッド・ジャンボボトルは、庶民派ウイスキーの座を不動のものにした。
しかし、このCMにはウラ話がある。日本酒からウイスキー、酒なら何でも来い! というイメージの荒勢が、実は下戸だということだ。
「自分から飲むことはほとんどないです。飲んでも水割り一杯くらい……」
見た目と素顔の大きなギャップ。これも荒勢の魅力だった。
高校横綱が選んだのは大学相撲の雄・日大
学生出身力士全盛の、現在の相撲界。関取(十両、幕内)の中で、大学相撲経験者は実に40%強を占める。しかし、40年ほど前までは、「黄金の左」横綱・輪島、苦学生から大関まで昇進した豊山(初代)、朝青龍の元師匠で「大ちゃん」こと朝潮太郎、大成はしなかったが怪物「クッシー」と呼ばれた久嶋(久島海)など、大学でいくつものタイトルを取ったエリートのみが大相撲の世界に進んでいた。
「学生相撲界から大相撲に進んだら、絶対に失敗は許されない」
学生界のプライドが、暗黙の裡に存在していた時代だった。
しかし今は、大学を卒業して大相撲界に就職をする、という感覚の力士が多く見受けられる。プロで力を試したいという彼らの気持ちに水を差すつもりはない。一方で、相撲の基礎を身に付け、大学まで技術を磨いてきた者を入門させた方が、15歳の少年を一から育てるよりも手っ取り早い、という相撲部屋の師匠の思惑もある。
よって、プロとして勝負にこだわるよりも、どこかサラリーマン的な思考の力士が増加していることも、また事実だ。
個性派の荒勢は意外にも日大相撲部の出身で、輪島の2学年下にあたる。
高知市に近い吾川郡伊野町(現在のいの町)に育った小学生時代から、格闘技が好きだった荒瀬(本名)少年は、高知中学に入学すると、相撲に照準を合わせた。そして、高知高校に進学すると相撲部に入部して、1年生から活躍、3年時はインターハイで個人優勝。高校横綱に輝いた。
高校横綱の荒瀬獲りに、各大学のスカウトは色めきたった。最終的に荒瀬が選んだのは、大学相撲の雄・日大だった。荒瀬は1年生から団体戦に出場するなど非凡なところを見せたものの、個人戦の成績は今ひとつ。大学4年で優勝した大会はあったが、いわゆるビッグタイトルとは無縁だった。
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