不自然な“サングラス着用”写真も…池田大作氏の“長きにわたる不在”を「聖教新聞」はどう報じたか

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弟子に託すため?

「私は、きょうは、あえて出席いたしません」

 このメッセージは、2010年6月3日、千駄ヶ谷の創価国際友好会館で行われた本部幹部会を池田が欠席した際に、壇上で読み上げられたものだ。本部幹部会とは、月に一度開催されていた(※現在は、2か月に1度)創価学会の主要なイベントで、吹奏楽団による演奏や海外の信者によるPR、「信仰体験」の発表などが行われる。そして最後に、池田の指導(スピーチ)で締めくくるというのが通例である。

 その様子は、ビデオ中継で各地の教団施設で放映されていた。信者によれば、池田が出席していた頃は、1時間の放映時間のうち、20分近くがスピーチにあてられ、長い時は30分以上になることもあったという。定期的に池田の生の声を聞ける機会ということもあって、多くの信者たちは、本部幹部会を励みに日々の活動にいそしんでいたという。そんな重要なイベントを、池田は急遽欠席したわけだ。

 池田が欠席した際に代読されたメッセージは、翌日の聖教新聞にも掲載された。そこで池田は、当時、創立80周年を迎えた教団がさらなる成長を遂げていくために〈弟子たちが、本気になり、一丸となって、不惜身命の祈りと行動を起こしてこそ、真実の勝利がある〉(聖教新聞 2010年6月4日付)とし、「弟子」である信者たちが団結し、行動を起こしていくが重要であると説いている。この文言の直後に〈ゆえに、私は、きょうは、あえて出席いたしません〉という先ほどの一文が続くのだ。

 さらにメッセージは、池田の師匠にあたる第2代会長の戸田城聖とのエピソードに触れ、戸田もあえて本部幹部会などの会合に出席しなかったこともあった、と語っている。さらに、

〈今、私も、戸田先生とまったく同じ心です。君たちに万事を託していく総仕上げの「時」を迎えているからであります〉(同)

 ただしメッセージは〈また、お会いしよう!〉と締められ、あくまでも一時的な欠席であることを示唆してもいた。

 だが、この本部幹部会を欠席して以降、今日まで池田は公の場に姿を現していない。「教団を弟子に託すため、あえて今回は」欠席したのだとすれば、別の機会には現れてもいいはずだ。そもそも弟子に任せることと自らが姿を消すことは関係ない。第一、「託す」といっても、当時すでに池田は名誉会長に退いている。実質的な教団の運営は第6代会長である原田氏が担っていたのだ。

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