“トレード拒否”で巨人退団、「年俸4億円」辞退も…まさかの「電撃引退」で球界を去った名選手

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電撃引退劇は「週刊明星」でも特集記事に

 他球団へのトレードを拒否し、“巨人ひと筋”を貫いて引退したのが、定岡正二である。

 入団6年目の1980年にプロ初勝利を含む9勝を挙げた定岡は翌81年に11勝、82年には15勝を記録し、江川卓、西本聖とともに先発の柱になった。

 83年も5月までにハーラーダービートップの7勝をマークしたが、その後、腰を痛めて急失速。6連敗の7勝7敗でシーズンを終えた。ここから苦闘の日々が始まる。翌84年は自己ワーストの10敗を喫し、リリーフに配置転換された85年も4勝3敗2セーブ、防御率3.87と復調できずに終わった。

 そして、シーズン後、近鉄へのトレードを通告されると、定岡は「僕のわがままかもしれないけど、感情的に承服できない」と拒否。これに対し、球団側は「来季は戦力外」と伝え、トレードを受諾するか、自らユニホームを脱ぐかの二者択一を迫った。

 巨人に残れないことを知った定岡は11月2日、「プロ野球に入ったときから巨人しかないという考えでした。頭ではトレードに従わねばならないとわかっていても、感情的に他球団のユニホームを着ることを納得できないんです」と28歳の若さで引退した。

 自著「OH!ジャイアンツ」(CBSソニー出版)によれば、当時定岡は慢性の肘痛に悩まされ、野球を続けるかどうか迷っていた。そんな矢先にトレードを通告され、「ああ、これも運命だな」と引き際を悟ったという。「僕は知らない球団に行って、1からやり直すほどの気力も体力もなかったんです」。

 甘いマスクで女性ファンを熱狂させたかつての甲子園のアイドルの電撃引退劇は、芸能誌「週刊明星」が特集記事を組むなど、野球界以外でも大きな反響を呼んだ。

1軍の引退セレモニーも固辞

 年俸4億円の契約をもう1年残しながら、未練なく現役を引退したのが、阪神時代の城島健司である。

 2010年、出場機会を求めてメジャーリーグのマリナーズを退団し、年俸4億円プラス出来高の4年契約で阪神に移籍した城島は、144試合にフル出場し、打率.303、28本塁打、91打点の好成績を残した。

 だが、同年オフに左膝半月板の手術を受けて以来、左肘、腰痛など故障が相次ぎ、11年は38試合、12年は24試合と出場機会が激減。肉体的負担の大きい捕手を務めるのは、もう無理だった。

 ソフトバンク時代の恩師・王貞治氏は「ほかのポジションでまだ頑張ってみないか」とアドバイスしたが、城島は「キャッチャーができないとわかっていて、野球をしてしまうと、大好きな野球を嫌いになってしまいそうなので」と“生涯一捕手”を貫き、翌年の年俸4億円を辞退する形で引退を決意する。

 1軍の引退セレモニーも固辞し、9月29日のウエスタン、オリックス戦に3番捕手で先発出場した城島は、1回裏の現役最後の打席を中前安打で飾り、捕手のまま引退した。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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