昭和の名大関・朝潮 朝青龍騒動で珍回答、初優勝で男泣きした真相…“愛されキャラ”のエピソードが蘇る

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 11月3日、67歳で死去していたことがわかった元大関・朝潮、先代高砂親方の長岡末弘さん。デビュー時から圧倒的な強さを見せ、「大ちゃん」の愛称で親しまれた“愛され力士”の筆頭だった。だが、大関取りには5回失敗し、綱取りも果たせていない。さらに親方時代は朝青龍の騒動でも注目された。浮き沈みのある相撲人生だったが、持ち前の明るさを示す発言の数々は多くのファンの記憶に残っている。※武田葉月『大相撲 想い出の名力士たち』(2015年・双葉文庫)から一部を再編集

朝青龍の騒動よりパイロットシャツに注目が

 平成19年名古屋場所は、新横綱・白鵬の勢いを封じて、横綱・朝青龍が21回目の優勝を飾った。場所後、夏巡業に参加するはずの朝青龍は、「腰の疲労骨折他のため、6週間の休養が必要」との診断書を出して、巡業を欠場することになった。

 ところが、である。

 静養のためにモンゴルに帰国していたはずの朝青龍が、中田英寿氏らと一緒にサッカーをしている映像が日本のテレビで流れたものだから、さあ大変!

「モンゴル政府に頼まれて、子供たちのチャリティー大会に出ただけ」と事情を説明した朝青龍だったが、巡業を休みたいがゆえの仮病ではなかったかと、相撲協会幹部はカンカン。

 結局、「二場所出場停止」の処分を下された朝青龍は、ショックから解離性障害で自宅に引きこもってしまった。その間、何度か朝青龍の説得にあたった相撲協会の広報部長(当時)で、師匠でもある高砂親方(元大関・朝潮太郎)とも、コミュニケーションが取れない。そうした流れはあったものの、最終的には高砂親方の全責任のもと、モンゴルでの静養が許された。

 あくまで「監視」のため、朝青龍の帰国に同行したはずの高砂親方だったが、わずか35時間後に日本にUターン。モンゴルでの朝青龍の様子を報道陣に問われると、

「(朝青龍が治療中の)温泉には俺も入ったけど、肌がツルツルになった」
「ダブルの虹を見た。虹のダブルアーチ!」

 などと、珍回答を連発した。

「監視」という本来の目的とはかけ離れた、こうした能天気な受け答えは師匠としての責任能力が問われてもしかるべきだったが、これが「大ちゃん」こと高砂親方らしいと大ウケ。逆に「会見で着ていたあのパイロットシャツはどこで売っているのか?」と、朝青龍のサッカー騒動を打ち消すほどの話題をさらった。

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