「京都の大学生は、卒業すると京都から出ていく」現象の謎――京大名誉教授が指摘する大学都市・京都の「弱点」とは?

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 国立の京都大学をはじめ、私学の同志社、立命館などに加えて、仏教系の大谷大学、龍谷大学、佛教大学などもある京都は、日本屈指の文教都市であると言うことができるでしょう。

 ただ、統計を見ると、それらの大学卒業生がそのまま京都にとどまることは少ないようです。なぜ京都の大学生は卒業後に、京都から離れていくのでしょうか。

 京都に半世紀以上かかわってきた有賀健・京都大学名誉教授は、新刊『京都―未完の産業都市のゆくえ―』(新潮選書)で、京都の大学生たちのライフサイクルと人口移動の実態を明らかにしています。同書から一部を再編集して紹介します。

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1割を占める大学生・大学院生

 京都への流入の一大勢力は学生であり、京都市の人口140万程度に対し、大学生・大学院生は約15万人と10%強を占める。

 大学以外にも京都は様々な形で訓練や研修を施す施設が多く、これも若者の流入を促す。京都の大学を卒業した学生がどの程度市内で職を得るか、実は直接的にその数を推定することは容易ではない。

 京都府の大学在学者のうち京都府外の高校の出身者は75%程度に上る。毎年約2万5000人の学生が京都の大学に入学することから、凡そ毎年2万人程度の府外出身者が京都の大学に入学すると推定される(田村一軌『大学進学にともなう都道府県間人口移動』アジア成長研究所調査報告〈2017〉)。

 但し、自宅から通学する他府県出身者や、京都に移住しても住民登録をしない者も多数あると推測されるので、住民基本台帳ベースでの進学に伴う移出入は、この数字よりも遥かに小さい。

府内就職者は2割弱

 京都府内の大学を卒業し就職した者を対象とした調査では、府外出身者で府外に就職したのが全体の76.9%、府外出身で府内に就職したのが8.3%、府内出身者で府内に就職した者が5.6%、そして府内出身で府外に就職した者が9.3%となっている(リクルート就職みらい研究所『大学生の地域間移動に関するレポート』〈2018〉)。

 2019年度の京都府調査「就職支援協定の運用に係る意向調査」では、京都府内の大学卒業生全体で就職したものは、2万2000人余りで、そのうち、府内で就職した者は4300人余り、全体の19.4%に過ぎない。

大阪と対照的な社会移動

 同じ京阪神地区でも大阪府の場合、在学者全体の58.6%が大阪府外の出身で、そのうち19.8%、つまり府外出身者の約3分の1が大阪府内で就職している。残り41.4%は大阪府出身で、彼らのうち26.1%、つまり府内出身者の63%程度が府内で就職する。
 
 京都は毎年2万人程度の学生を府外から受け入れるが、そのうち府内で職を見つけるものはせいぜい10%程度であり、京都は最も重要な社会移動の契機において、明らかに見劣りする選択肢と考えられている。

 学生の流入・流出ほど目立つわけではないが、無視できない傾向として、20代後半から30代にかけての年齢層でも京都は流出が流入を上回る。
 
 移動先の府県別で見ると、大阪、東京に対して、20代前半から大規模な純流出があり、流出は40代前半まで相当規模で続くことが分かる。また東京、大阪、滋賀の順に、純流出に転ずる年齢が高くなっており、大阪と特に滋賀の場合では、10代前半までの純流出も大きい。

 つまり、滋賀県への純流出の大きな部分が、第1子出産後の若年夫婦の階層であることを示唆する。

 要するに、京都は高校・大学の年齢層で大幅な人口流入を経験するものの、卒業時にはその大半を東京と大阪に失い、更に20代後半から40代前半の階層を滋賀や大阪に移住するパターンで失っていることが分かる。

 2019年の人口動態でみると、0~9歳及び25~29歳のネット流出の合計は2695人、それに対し、15~24歳のネット流入が6446人で、その差3800人程度は、市全体の社会流入合計の4600人余の大半となる(残りのうち700人程度は40代以降の流入による)。

1990年代以降に変化した人口の流れ

 京都は戦災を受けなかったことも反映して、戦後復興時は他の主要都市と同じく急速に人口増加を経験した。

 しかし、高度成長期に入ると人口流入は鈍化し、1960年代半ばには人口移動では既にマイナスに転じたが、第2次ベビーブームの1970年代前半には年率1%を超える自然増もあり、緩やかな成長をすることが出来た。

 1960年代半ばから2010年頃までの半世紀近くの期間、京都市は常に純人口流出を経験し、自然増が漸減するにつれ1980年代に入るころには人口成長はほぼゼロとなった。

 人口流出が続いた高度成長期後半から2010年頃までの期間、その期間の前半部では南西回廊では人口流入が続いたが、それを上回る都心部を中心とした地域からの人口流出があった。

 1990年代以降、この流れは逆流し、京都市の南西回廊を含む周辺地域では全て人口流出に転じ、都心部では人口流入に転じた。

 京都市の人口動態は、京都が新たな職や結婚後の住まいを探す世代には概して不評であることを明確に示すものであり、それはとりもなおさず、京都という町が、大学都市を超えて、移住を促す要因に欠けることを示すともいえよう。

 但し、若くして京都に来て就職、結婚を経て京都に定着するというスタイルが全く見られない訳ではない。問題はどのような階層でどのような職種においてこのような市外人口の流入定着が見られるかである。

※有賀 健『京都―未完の産業都市のゆくえ―』(新潮選書)から一部を再編集。

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