重量挙げ五輪メダリスト「三宅宏実さん」が明かす“遠距離”新婚生活 大学後輩の夫と「電話やラインは毎日。ケンカになっても先に謝ってくれます」

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 2年前の東京五輪、この場を競技人生の集大成として臨んだ三宅宏実さん(37)の結果は、「記録なし」という不本意なものに終わった。今にも泣き出しそうに両目を固く閉じ、両手を振って会場を後にする姿を覚えている人も多いだろう。

 もちろん、宏実さんが残してきた実績は忘れようがないほど輝かしい。伯父・義信さんが金と銀、父・義行さんが銅メダル保持者という、重量挙げ界のサラブレッドとして育ち、18歳でアテネ五輪に初出場すると、連続で夏季五輪5大会に出場。2012年のロンドン五輪では銀、16年のリオ五輪でも銅メダルを獲得した。

 そんな宏実さんには引退後の目標があった。「結婚」である。そして、意中の人がいた。母校・法政大学の1年後輩で、一緒にリオ五輪を戦った中山陽介さん(36)である。

 同窓なら、大学時代からよく知る仲なのかと思えば、

「学部が違うし、重量挙げ部は男女が一緒に練習するのは週1日。彼は後輩の一人でしかありませんでした」

 急接近したのはリオ五輪の選考会。参加していた中山さんの姿が宏実さんの目に留まった。

何でも相談

「大学を卒業しても私は競技に専念できる環境でしたが、彼は就職。それでも仕事を終えた後、毎晩一人で練習を続け自己ベストを更新していたんです。これって、なかなかできないこと。さらに彼はリオ五輪のため2年間の休職までしていました。競技に向き合う姿勢や目つきが学生時代とは違ったんです」

 東京・北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターで一緒に合宿するうち、交際に発展。

「リオ五輪のとき、私は30歳でした。同年代の仲間は引退し孤独感がありました。それを癒やしてくれたのが彼だった。人間関係やトレーニング法など、何でも相談していました。彼は違うことは違うとはっきり言うタイプ。だから、彼の存在と言葉が力になりました」

 一方、中山さんはというと、学生時代から宏実さんに密かに好意を寄せていたという。

「でも、私のどこが好きだったかは言ってくれません。聞けば“かわいい”とは言ってくれますが」

 リオ五輪の後、ようやくデートの時間ができると、中山さんが好きな釣りやキャンプ、宏実さんの趣味の旅行やコンサートを一緒に楽しんだ。

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