食卓の絨毯のシミ、『太陽の季節』の第一稿も…石原慎太郎さん、田園調布の“豪邸”解体で四男・延啓さんが語った“家じまい”

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「親父は面白いなあ」

 今年の8月にはその田園調布の自宅が大手不動産会社に売却された。

「この先誰が住むの、って話ですから。固定資産税とか維持費とか払えないですよ。おばあちゃんを入れて7人家族で暮らすことを念頭に建てた家ですからね。大きすぎるんです。誰も暮らさない、そんな大きな家に誰がお金を払うのかって話じゃないですか」

 自宅で暮らした思い出を訊くと、

「やっぱり家族みんなで暮らしていたから、たくさんの思い出があります。食卓の下の絨毯に、親父の食べこぼしのシミが残っていたりね。要するに、親父ってせっかちだから、ボロボロこぼしながらメシを食うんです。いつも親父が座っていたイスの下の絨毯だけが汚れていたっていうね。汚れちゃっているから、さらに別の絨毯をそこに被せていて、その絨毯も汚れていた。親父は面白いなあって」

 両親が亡くなってから、延啓氏は自宅の整理を続け、思い出の品が多く出てきたそうだ。

「家の主がいなくなっちゃってからは、いろいろと整理をしていたんですけど、資料とか原稿とか処分しきれない物が膨大にあって、しばらくそれだけは残していたんです。だから、電気が止まった後も、僕は足を運んでいてね。『太陽の季節』の第一稿とか『灰色の教室』の生原稿なんかが出てきてね。最後、文学館にせよ一橋大学にせよ、どこかしかるべきところに納めないといけないでしょうから、その作業はいまやっている最中ですけど。『灰色の教室』が出てきた時には感動しましたよ。あれがなければ石原慎太郎は世に出なかったわけですから。最後に、資料とか原稿とかを貸倉庫に送った後、部屋に1人でポツーンとした時は寂しかったですね。物を整理している途中はそこまでだったけれど、最後に何も物がなくなった時が、特にね……」

『灰色の教室』とは、石原氏が一橋大学の学生時代、「一橋文芸」に掲載した作品。『太陽の季節』に先駆けて発表した処女作である。

 作家として、政治家として、そして都知事として、様々な顔を世間に見せてきた石原氏。延啓氏はこうしみじみと語った。

「ああ、こうして家族みんなでメシを食って、一緒に写真を撮ったこともあったなあって。そういった忘れていたことをたくさん思い出しました」

デイリー新潮編集部

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