食卓の絨毯のシミ、『太陽の季節』の第一稿も…石原慎太郎さん、田園調布の“豪邸”解体で四男・延啓さんが語った“家じまい”

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 東急・田園調布駅から徒歩10分ほど。都内有数の一等地に建つ、その豪邸の解体はすなわち、一つの時代の終焉を意味する。作家で元東京都知事の石原慎太郎氏が鬼籍に入って1年半余り。石原氏の慣れ親しんだ自宅が売却され、取り壊されることになった。その思い出を石原氏の四男で、画家の延啓(のぶひろ=57=)氏が語った。

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「田園調布は日常生活の場」

「僕は大学生の頃まであの家で暮らしていました。大学を出てからは海外に行っちゃったからね。まあ、時々、戻ってはきていましたが」

 延啓氏が語る。

 石原氏が亡くなったのは2022年の2月1日だった。長男の伸晃氏が報道陣に説明しているところによれば、その前年に膵臓がんで余命宣告を受けていたという。

 改めて家族構成を振り返ると、石原氏には子が4人いる。伸晃氏、次男でタレント・気象予報士の良純氏、三男で衆院議員・首相補佐官の宏高氏、そして延啓氏だ。その石原氏に注目が集まる度に報道陣が押し寄せたのが都内の一等地に建つ田園調布の自宅だった。登記簿を確認すると、土地を購入したのは1979年。延べ床面積100坪以上の自宅が完成したのがその2年後だった。土地も建物もいずれも妻の典子氏との共同所有だ。

 石原氏が亡くなると、妻の典子氏が石原氏の持分を相続。しかし、典子氏が直後の同年3月に後を追うように逝去すると、4人の息子たちが持分を四等分し、相続することになった。ちなみに、石原氏と言えば、著書『太陽の季節』(新潮文庫)の舞台となった神奈川・逗子のイメージも強い。逗子にあった自宅は65年に建てられているが、既に石原氏が生前の14年に売却されている。

「親父は逗子の家を愛していたから、暇があれば帰っていました。それに対して田園調布の家は、日常生活の場だった。海の見える逗子の家が石原慎太郎の象徴だったけれど、東京で仕事をする上で拠点を設けようと、家を建てたんです。田園調布もやっぱり家族みんなで暮らしていたから、たくさんの思い出があります」(延啓氏、以下同)

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