「なんで僕たち、こんなに仲悪く書かれるんですか」2代目相棒・及川光博の嘆きに水谷豊がかけた一言とは

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 シーズン22がスタートした「相棒」。初代バディの亀山薫(寺脇康文)のあと、2代目となったのが神戸尊(及川光博)だった。ミュージシャンとしても活躍していた及川だったが、すでに足掛け8年続いていた人気シリーズの「現場」に飛び込むのはかなり緊張したはず、と水谷は語る。それでも三つのシーズンを勤め上げ、俳優としての階段を着実に昇った及川をゴシップの嵐が襲う。そのとき、及川と水谷は何を語り合ったのか。

 水谷が「こんなに自分の過去を振り返ろうとしたことは一度もなかった」と話す初めての著作『水谷豊 自伝』から抜粋して紹介する。

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2代目のプレッシャー

 寺脇(康文。初代相棒)の次の相棒に誰が選ばれるのか。

 俳優であり、ミッチーの愛称を持つ歌手でもある及川光博の名前が公式発表されたのは、2009年3月11日だった。警察庁警備局警備企画課課長補佐の神戸尊(かんべたける)という役名である。

「2代目の相棒を決めるときに、光(みっ)ちゃんの出演作品を見せてもらったんですね。プロデューサーと一緒に。『彼で行ける』ということでみんなの意見が纏まって思ったのは、『前の相棒の方が良かった』という声が必ず出てくるということ。何かを新しくすると、まず保守的な意見が出てくるんです。だけど、続けているうちに『こっちもいいね』という人が増えてくる。それは僕が色々な役をやってきて分かった実感です。不良の役をやって先生の役をやると、『不良の役の方がよかった』と言われる。その逆も同じです」

 神戸尊の場合は、警察庁のエリートなので、右京と共通点があり、「エリート同士が相棒になって、何が面白いんだ」という声が出たという。

「エリートでも落ちこぼれでも色々あるのに、一くくりにする人が多いんですね。だけど僕は、同じエリートでもこんなに違うんだという面白さが出てくるから、いずれ分かってもらえると思っていた。なにより光ちゃんは凄いプレッシャーを感じていたはずなんですよ。シーズン1から8年続いたチームに入ってくるわけですからね」

 及川自身は、相棒を引き受けるときの心境をこう語っている。

〈最初に『相棒』に参加するお話をいただいた時、僕は30代の終わりを迎えていて、これから始まる中年ライフをより楽しく美しく生きるために階段を上らなければと思っていました。現状維持って、攻めの姿勢で初めて成り立ちますからね。そして、大きなチャンスと大きな責任も手に入れた。信頼して選んでくれたスタッフと、受け入れてくれたファンの皆さんに失礼のないように、欲張らず、作品の中できっちりと“いい仕事”をしたいと思いました〉(『オフィシャルガイドブック相棒─劇場版II』産経新聞出版)

 神戸尊は、右京の相棒になるためではなく、右京をスパイするためにやってきた。

 警察庁の上司から、特命係が警察にとって有益な存在であるか、あるいは危険な存在なのか見極めてほしい、と言われて異動させられたのだ。もし、危険な存在という結論が出たときは右京を警察から排除する方針である。

「光ちゃんは冗談が好きで面白いんです。それに『熱中時代』のファンだったので、僕のことを先生と呼ぶんですよ。先生はないでしょ、と思ったけど『いや、僕にとって水谷さんは先生ですから』って。それでね、『相棒』が始まってから光ちゃんのコンサートを観に行ったら、歌だけじゃなくてトークも楽しいんです。やはり素晴らしいエンターテイナーですね。自分の世界をしっかり持っている。お客さんたちは彼の歌を聞いて喜び、トークを聞いて楽しむ。ファンにはたまらないだろうな、と思いながら観ていました」

 及川は女性ファンを「ベイベー」、男性ファンを「男子」と呼び、ファンサービスが手厚いことはよく知られている。

 デビュー当時のコンセプトは「ミッチロリン星の王子様」だったが、自分で作り出したキャラを封印したのはデビュー2年後の98年。フジテレビ系列のドラマ『WITH LOVE』で俳優活動を始めた年に、テレビ番組の取材を受けて「これをやり続けたら役の幅が広がらないし、自分の首を絞めることになると思った」と語っている。

「王子様と神戸尊、そのギャップがまた面白い(笑)。彼は自分が信じることに真っ直ぐだから、芝居に邪念がないんです。すっきりしていて、空気感がいいんですね。ちょっと驚いたのは、光ちゃんは撮影が終わるとすぐに帰るんですよ。まだいると思って『ねえ』って話しかけると、もう消えていますからね。明日も会えるからでしょうが。僕の場合は、終わったあと誰かに会うとつい立ち話をしたりするので、(帰るまで)少し時間がかかるけど」

 神戸尊は右京に対して「逆らいはしませんが、意見ははっきり申し上げます」というスタンスで向かい合う。意見を言う前段階の「お言葉ですが」というひと言が口癖だ。

「神戸は右京を観察して、上司にレポートを書いたりするんですね。それが、最後に右京と別れる遠因になる。神戸が特命係にやってきた理由を右京は知らないけど、視聴者は知っているというのは、面白い設定でしたね」

不仲説

 シーズン7の最終話から登場して3年、神戸尊は右京の相棒となり、数々の事件を解決に導いてきた。『相棒』ファンは亀山薫ロスから立ち直り、尊の活躍を見守ってきたものの、シーズン10を最後に、尊の卒業が発表された。

 亀山薫が右京の相棒だった期間はプレシーズンを含めて8年半、神戸尊は3年、と半分以下の時間だったため、無責任な憶測が流れた。主役の水谷との不仲説である。

「光ちゃんがね、『なんで僕たち、こんなに仲悪く書かれるんですか』とよく言ってましたよ。『こんなに仲がいいのに、どうして』って。『仲がいいことはドラマを観てれば分かるよ』と答えたけど、なんだろう、あれは。人が不幸な方が楽しいのかな。光ちゃんとも、これ以上仲良くしなくてもいいでしょ、っていうくらい仲が良かったのにね」

 及川が3年で卒業したのは、スタート時から既定のことだった。

「光ちゃんは、歌手でもあるからコンサートのツアースケジュールが大変なんですよ。それを削ったり、調整してこっちに来てくれるんです。『相棒』のためにツアーを犠牲にするのも限界があるだろうし、こちらも出てもらっているという気持ちがあるので、3年くらい頑張ってもらえたら充分だと思っていた。実際によく頑張ってくれました」

 共演者との不仲はありえないことだった。それは及川に限った話ではない。

「芝居はね、仲が悪くなるとできないんですよ。現場の空気が濁っていれば、観ている人に分かります。そもそも、僕は役者同士の仲が悪くなるという現象が理解できない。芝居をしているときは、みんなで一つのことに向かっているという意識があるから、連帯感のようなものが生まれるんです。みんな同じ台本を持って、ああしたらいいか、こうしたらどうだろうとアイデアを出したりして創り上げていく」

 神戸尊は、古巣の警察庁に異動するというかたちで特命係を去る。

 シーズン10の最終話「罪と罰」で、右京を結果的に欺くような行為をしたことから「もう特命係にはいられない。杉下さんが大事にしているものを踏みにじってしまった」と覚悟したのである。必要があればいつでも特命係に顔を出せるというポジションへの異動ではあるが、ラストシーン、愛車で送ろうとする尊を断った右京の言葉には哀愁が漂う。

〈やめておきます。ようやく一人に慣れてきたところですから〉(『相棒 season 10下』)

 及川は『相棒』を卒業するにあたって、こんな言葉を残している。

〈『相棒』という作品を通して、表現者としてタフになったと思いますね。もちろん、そういったことは全部、水谷先生に教えてもらったことです(中略)。主に撮影の待ち時間ですけど、人間について、人生についてもおしゃべりさせていただきました。待ち時間が長い時は、結構深い話もできたんですよ。苦労も努力もひっくるめて、とにかく人生を楽しまないとって、教えていただきましたね(中略)。水谷さんが日々口にしていらした“台本以上”という言葉を胸に、僕はこの作品を卒業します。台本に書かれている世界をより面白く表現すべく、創意工夫と努力を忘れずに今後も精進していきたいと思っています。3年間、ありがとうございました!〉(『オフィシャルガイドブック相棒vol.3』産経新聞出版)

 別れ際、水谷は及川からあることを頼まれた。

「『最後までずっと我慢していました』と言って、『熱中時代』の劇伴(サントラ)のアルバムを出したんです。『これにサインしてください』って。可愛いところがあるんですよ」

 亀山も神戸も上からの命令で特命係にやってきた。3代目になる相棒は彼らと違い、右京自らが選んだ相手である。しかも、右京とは親子ほども年の差があった。

※水谷豊・松田美智子共著『水谷豊 自伝』から一部を抜粋、再構成。

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