退所直後の本木雅弘を映画「226」に起用、メリー副社長が横やり、映画プロデューサー「奥山和由氏」がジャニーズを“出禁”になったてん末

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ジャニーズ報道とシンクロ

「ところが、あまり知られていない事件だけに、資金は集まらなかった。そこで奥山さんは身を引くのですが、森監督は諦めなかった。クラウドファンディングを立ち上げ、『集まらなくても作ります!』と呼びかけると、およそ4600万円も集まった。ようやく公開にこぎ着けたのが、ちょうど事件から100年後の今年でした。そこで奥山さんは、せめて応援したいとXでメッセージを送り続けたんです」

 それが一体なぜ、ジャニーズ問題について呟くことになったのか。

「福田村事件は100年もの間、あったことがなかったことのようにされてきた事件で、それを映画化したことに大きな意味があると言ってきました。それが、1998年に社内クーデターで松竹を追われた奥山さんの過去と、その後、松竹とジャニーズの関係が復活し、数々のジャニーズ映画が製作され、ジャニーズ歌舞伎まで上演されるようになったこと、さらにジャニーズ事務所の本質が全く報じられないこととシンクロしたようです」

 具体的にどこがジャニーズ事務所とシンクロするのだろう。奥山氏の側近だった人物は言う。

「現在、ジャニーズ事務所の問題は、すべてジャニー喜多川氏が原因であるかのように報じられています。もちろん、彼が青少年に対して行ってきた性加害は重大な罪ですが、マスコミを支配するまでにジャニーズを大きくしたのは彼の力だけではないということです。すべての罪をスケープゴートの如くジャニー氏になすりつけるかのような報道に疑問を感じたそうです」

 奥山氏とジャニーズに接点があったとは意外だ。

暗黙の圧力

「ジャニーズとの関係は、87年に公開された『ハチ公物語』(監督・神山征二郎)がきっかけでした。渋谷パンテオンで作品を観た藤島ジュリー景子前社長(57)が感動して、その場で泣きながら母親のメリー喜多川氏(1927~2021)に電話し、『いい映画だから一緒に観て』と言ったそうです。映画を観たメリー氏から奥山さんに『こんな映画を作れるプロデューサーと一緒に仕事がしたい』と連絡があり、それがきっかけとなり、同年公開の『この愛の物語』(監督・舛田利雄)に近藤真彦(59)が出演することになったんです」

 そうだったのか。

「それ以降、奥山さんは、ジャニーズ事務所と身内同然のつきあいがあったそうです。ジャニー氏とは彼が暮らしていた原宿のマンションで会ったそうです。純粋なクリエイターという印象で、経営に関しては全く無頓着。むしろ会社を引っ張っているのはメリー氏だと確信したとのことです」

 そうした関係が一変したのが、前述の映画「226」(89年公開)だった。萩原健一はじめ、三浦友和、竹中直人、鶴見辰吾、根津甚八、八千草薫、田村高廣、渡瀬恒彦、松方弘樹、高峰三枝子、丹波哲郎、芦田伸介、仲代達矢……が出演して二・二六事件を描いた大作だ。

「ジャニーズ事務所を退所したばかりの本木雅弘(57)を、青年将校役で起用しようかという話になったんです。本木さんはマネージャーと共に奥山さんに会いに来ると、まだ正式に出演が決まってもいないのに、坊主頭になってきたそうです。それほどやる気だったわけですが、その時に奥山さんは、念のためにとメリー氏に伝えると、『よく考えて』と言われたそうです。そこで『ダメならダメとハッキリそう言ってください』と言うと、『ダメとは言わない。よく考えて』と再度言われたそうです。これこそがジャニーズ事務所による暗黙の圧力だったわけです。以後、奥山さんは、ジャニーズに出禁となったそうです」

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