公務員なのに給与がない「公証人」とは何者か――西村尚芳(霞ヶ関公証役場公証人)【佐藤優の頂上対決】

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公正証書の効力

佐藤 公証事務にはどんなものがありますか。

西村 大きく分けると、公正証書の作成、認証の付与、確定日付の付与の三つです。公正証書は、まず遺言ですね。遺言は自分で書く自筆の遺言もありますが、公正証書遺言を作成することも多くなっています。これには作成段階で証人2人が必要で、ご本人の意思、真意で遺言したかどうかの証明がたやすい。

佐藤 だいたい遺言はもめます。

西村 まず自筆遺言は本人が真意で書いたかどうかでもめるんですね。公正証書にはその疑いがないので、トラブルが少ない。当然、費用がかかりますが、無茶な金額ではない。

佐藤 具体的にいくらくらいですか。

西村 手数料は政令で細かく決められています。遺言の場合は、遺産の額、どのくらいの人に分けるかで変わってきます。ですから一概に言えませんが、数万円というケースもたくさんあります。ちなみに先ほどお話しした尊厳死宣言公正証書は、1万1千円です。

佐藤 弁護士が作るものとは違って、強制執行力がありますよね。

西村 金銭債務について公正証書を作った場合、債務の履行を怠ると、裁判をせずとも、その内容に沿って、相手の個人財産に強制執行ができます。ですから離婚の際の養育費の取り決めなどには非常に有効です。

佐藤 養育費は長きにわたります。

西村 その通りです。月3万円ずつ十数年ということになると、どこかで途切れる可能性があります。最初は払います。そして払い続けようと思っている。でも何年かすると、いろいろなことが起きて払わなくなる。

佐藤 それは大人の事情ですが、子供の生活をきちんと保全するということですから、子供の観点から考えないといけない。

西村 ええ、養育費は子供の権利なので、取れなくなったら仕方ないではすみません。それは社会的にも重要ですので、自治体によっては公正証書作成を促進するために補助金を出しているところもあります。

佐藤 また親族間や友人間での貸し借りでも、口約束では心配な額だったら、公正証書を作っておいた方がいいですね。

西村 それはよくあります。やはり強制力があることが大きい。

佐藤 公正証書は、これまでなあなあでやってきたことを法的な形で整理することだといえますね。しかも違反した場合は、お金も時間もかかる裁判をショートカットできる。

西村 公正証書は合意の世界です。双方がけんかして騒ぎになっている時には公正証書の作成はできないですし、われわれがけんかを止めることもない。役場に来る時にはある程度、話がまとまっています。

佐藤 法律に違反する内容や公序良俗に反するものは無理ですね。

西村 私たちが違法、無効と判断すれば作れませんね。

佐藤 全財産を猫に相続させる。あるいは猫を飼ってくれる人に遺贈するというのはいかがですか。

西村 猫に相続権はないので無理ですね。猫を飼ってくれる人への遺贈はちょっと検討が要ります(笑)。

佐藤 先ほどの尊厳死宣言公正証書は、微妙な部分がありませんか。私は腎移植前には透析を行っていました。尿が出なくなっている場合、透析を行わないと1週間から10日で死に至ります。透析をやめてくれ、というのはどうですか。

西村 やはりできることとできないことがあり、刑事事件化する可能性のあるものは無理ですね。基本的に終末期の延命治療をするかしないかです。

佐藤 西村さんのおられる霞ヶ関公証役場はどんな仕事が多いのですか。

西村 場所柄、私署証明が多いですね。私署とはサインのこと、このサインが本人によってなされた真正のものであることを証明するのが私署証明です。外国向けの私文書にサインした場合、その文書を外国に送るためには、そのサインについて公証人の私署証明が求められる。

佐藤 要するに署名の証明ですね。ただ内容には関知しない。

西村 そうです。日本だと印鑑登録証明でということになりますが、外国ではそれは通用しない。それで、サインの証明を求められることになるわけです。

佐藤 これは主に企業間でのやりとりですか。

西村 いえ、私人のケースも多いですね。例えば外国に持っている不動産の取引をしたいのだけども、現地まで行けないというケースで、日本で契約書にサインをして、これを公証人に認証してもらってから現地に送るという形で使う。

佐藤 これまでは刑事事件をやってこられましたが、いまは民事の案件ばかりです。何か違いがありますか。

西村 法律は法律なので、法的な考え方をするという点では変わりませんね。

佐藤 定年はあるのですか。

西村 70歳です。

佐藤 いま西村さんは63歳ですが、今後、ずっと公証人を続けられるのですか。

西村 弟のことがありましたから、公証人を身近に感じていますし、公証人としてもっと社会に役立ちたいという気持ちはもっています。ただ将来的に、どこかの時点で弁護士をするだろうな、とも思っています。いつになるかはわかりませんが。やはりそれなりに経験を積んできたので、それが発揮できるような仕事はしたいですね。

佐藤 どこにいても西村さんならば職業的良心と人間的良心に従ってよい仕事をすると私は確信しています。

西村尚芳(にしむらひさよし) 霞ヶ関公証役場公証人
1960年石川県生まれ。金沢大学法文学部卒。90年検事任官。東京地検特捜部時代に佐藤優氏の取り調べを担当。2012年東京地検特捜部副部長、13年横浜地検刑事部長、14年大阪地検特捜部長、15年東京高検検事兼最高検検事、16年東京地検特別公判部長、17年同刑事部長、18年青森地検、19年には高松地検の検事正を歴任し20年退官。同年より現職。

週刊新潮 2023年10月5日号掲載

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