雨が降る中の登山で姿を消した60代女性……残された夫と息子、友人たちから聞き取りをして見えた足取りは

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 意外かもしれないが、山岳遭難の現場は、峻険な高山だけではなく慣れ親しんだ低山も多い。そして「いつもの一人登山」を楽しもうとしたひとが消息を絶ったとき、その足跡をたどるのは容易なことではない。

 いくら探しても見つからないという家族から依頼を受け、民間の山岳遭難捜索チームLiSS(リス)のメンバーと代表の中村富士美氏は山へ向かう。

 今回、捜索するのは奥秩父。60代の女性が1泊2日の予定で登山に出掛け、連絡が途絶えた。夫と3人の息子たちから依頼を受け、捜索が始まる。

 現場のリアルな様子を、中村氏の初著書『「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―』より一部抜粋してお届けする。

どうして、このルートを選んだのか?

 捜索チームは、まずYさんの登山予定ルートを実際に歩いて検証し、道に迷いそうなポイントや滑落危険箇所の目星をつけた。

 彼女の足跡をたどりながら、私には、どうしても腑に落ちない点があった。

 なぜ、Yさんはこのルートを選んだのか?

 このルートは、少し特殊だ。

 登山地図に実線で示される「一般登山道」ではないのだ。整備されていないため、登るにはコンパスやGPSといった装備と、それらを利用して地図や山の地形を読む高度な技術、そして人の手の入っていない山の中を歩くための、かなりの登山経験を必要とする。いわば「上級者向け」である。

 ご家族によると、Yさんはいつも仲間たちとガイドツアーを利用して登山をしていたという。ひとりで山に入るのは、おそらく初めてかせいぜい数回目だと思われた。このルートを選ぶのには、力不足だと言わざるを得ないだろう。

 ルートの入り口自体は、一般登山道沿いにある。右手に伸びる山道を進めば、飛龍山(ひりゅうやま)へまっすぐに通じる。そして、左手に進むとYさんが取ったルートになる。

 ここは山の裾野だ。辺りには木が生え、足元一面に笹が生い茂る。登山道も、整備されているとはいえ、実際は登山客たちが長年踏みならしたため、そこだけ草が生えずにうっすらと土が見えて「あぁ、これが登山道かな」と判断できる程度だ。

 周囲に広がる木のうちの1本に、古い赤いテープが巻かれている。これが、一応ルートの分岐の目印となっている。目立つ看板が立っているわけでもなく、何本も生えている木のうちの1本に、ただテープが巻かれているだけ。テープそのものも色が褪せ、木肌とあまり区別がつかない。目印というには小さすぎる。捜索に入った当初、私も、この赤いテープの存在を見逃してルートの入り口が分からなかった。

 果たしてYさんが、この目印に気づけたのだろうか。それとも、Yさんは以前にもこのルートを登ったことがあり、覚えていたのだろうか。

 それが一番の疑問だった。

 Yさんのことを、もっと詳しく知りたい。

 そう思った私たちは、いつもYさんと一緒に登っている友人に話を伺えないか、ご家族を介してお願いをした。

写真から分かった「大きな違い」

 Yさんの登山仲間数名と連絡が取れた。数日後、現地へ来てくれ、これまでのYさんの登山スタイルや、今回このルートを選んだ理由などを聞くことができた。

 それで分かったのは、今回、Yさんがたどったルートは、登山仲間たちがその年の春に登ったものであり、その時のルートについてまとめた資料を、参考としてYさんに渡していたということだった。

 その資料を見て、私の疑問が氷解した。

 そこには、ルートの要所要所の写真と、簡単な説明文が載っていた。これと照らし合わせれば、私が最初見つけられなかったルートの入り口の赤いテープも、簡単に見つけられただろう。

 一方で、大きな問題点があった。

 それは、この資料の写真は春に撮られたものだということだ。

 Yさんが登ったのは夏。当然、山の中の植物は成長し、ルートの風景は大きく変わっている。

 中でも一ヶ所、とくに気になるポイントがあった。

 竜喰山(りゅうばみやま)の山頂には足元に「竜喰山 2011m」という山頂の標高を示す看板が置かれている。

 春に仲間が撮った資料写真では、その看板の周辺にはまだ草は生えておらず、うっすらとだが登山道も見て取れる。だが、Yさんが登った夏の時期には、大人の膝下くらいの高さまで草が生い茂っていた。それは、山頂から次の目的地へ向かう登山道が分かりにくい、ということを意味する。

 Yさんの次の目的地、大常木山(おおつねぎやま)へ通じるルートへ進むには、山頂で看板の前に立ち、直角に右に曲がるように進まなければならない。

 しかし実際にその位置に立つと、地面に置かれた看板を越えて左手奥、11時の方向にうっすらと獣道ができているのが分かる。

 その先には、沢がある。夏になるとヤマメなどを狙う熟練の釣り師が多く訪れる。もともと登山客が少ない山のため、釣り師が山頂から沢に向かって歩く道だけ草が踏まれ、正しい登山ルートのように見えるのである。

 天気が良ければ、山頂から飛龍山まで伸びる稜線が見えたはずだ。しかし、Yさんが登った日は雨で霧が立ち込め、稜線は見えない。コンパスやGPSを持っていたら、釣り師が歩くこの道が登山ルートではないことは容易に分かるはず。でも、仲間から受け取った写真だけを参考に登山をしていたら……。資料には、山頂の写真は載っていたが、その次の写真は山頂を越えた、さらにその先の稜線の様子のものだった。仲間たちが登った春の段階では山頂には道に迷うような危険性があるとは思ってもみなかっただろう。

 さらに、Yさんが登った日は土砂降りだった。おそらく雨具のフードを深くかぶっていただろう。当然、左右の視野は狭められ、しっかりと見回さないと、正しい登山道を見ることはできなかったはずだ。

 私は「Yさんは、竜喰山山頂から沢に向かう道に間違えて入って遭難したのだ」と確信した。

遭難には性格が影響する

 道迷い遭難の場合は特に、遭難者の性格が反映される。

 Yさんの息子さんたちに「お母さんはイケイケなほうか、慎重なほうか?」という質問をした。答えは「イケイケなほうですね」とのことだった。

 例えば、慎重な性格の登山者だったら、途中で元来た道を戻ろうとし、その最中に足を滑らせ滑落するというケースも考えられる。では、Yさんの場合は、間違ったルートに入ってしまった時、どう考えどう行動したのだろうか……。「前に進めばとりあえず下山できる」と考えたのではないだろうか。

 もしくは、途中で戻りたくても、引き返せなくなったのかもしれない。Yさんが歩いたと思われるルートには、四つん這いにならないと降りられないほどの急斜面もある。

「これ以上は行けない」と思って振り返ったとしても、疲労が溜まった中で、もう一度そんな急な斜面を登ろうという気力が残っていたかどうか。

捜索場所を変更しようとした矢先

 釣り師が使うルート上でYさんが道迷いをしているとしたら、私たちの捜索の計画も大きく変更する必要がある。

 それまで私たちは、登山道から滑落しそうな場所を、実際に下に降りて捜索していた。

 というのも、ちょうど捜索を開始したころに偶然、「沢の方に3日間ほど行く」という釣り師の方と遭遇し、「もし、行かれる先に遭難者がいたら、通報してください」とお願いしていたからだ。山岳遭難捜索は、時間との闘いでもある。さらに、捜索すべき範囲も広い。時には、一般の方に声を掛け、力を貸してもらうこともある。釣り師のルートは一応手を打てたので、登山道からの滑落に絞って、捜索を続けた。

 今、私たちは登山道のある山梨県側を拠点にしているが、釣り師のルートを捜索するならば、埼玉県側から入山し本流の沢沿いに登っていった方がいい。山の中をいくつも流れる「枝沢」は、最終的に1本の「本流」に合流する。つまり、Yさんの持ち物が、どこかの枝沢から流されたとしても、本流をたどれば、そのどこかで見つけることができるかもしれないからだ。本流で見つけられたら、枝沢をひとつひとつ調べていけばいい。ただし、沢がある場所は山深く、一度入ったら日帰りはできないだろう。テントも必須だし、ロープやヘルメットなどの登攀(とうはん)用具、滑りやすい沢に適した、ソールがフェルトやウール、ラバーになっている靴といった装備も必要になる。捜索の計画の練り直しを捜索隊の中で相談していた。

 そこへ一本の連絡が入った。

 Yさんらしきご遺体が、沢の中で、うつぶせになっている状態で発見されたのである。

 見つけたのは、私たちが通報をお願いした方ではなかったが、やはり沢に来ていた釣り師の方だった。

 Yさんが見つかった沢までは、竜喰山の山頂から歩いて3~4時間はかかる。しかも、山頂からはどの方角に下っても急峻な尾根となる。釣り師たちは沢まで降りられる安全なルートに精通しているが、Yさんは地図を持っていなかった。おそらく、迷い込んでしまった尾根の先がどんな地形になっているのか知らなかったはずだ。歩けそうなところを選び、尾根を下り続けたのだろう。あと少しで下りきるところまではたどり着けたが、そこで50メートルほどの高さの崖から沢に落ちてしまったと思われた。

帰る人を一緒に待つ

 現地で捜索を見守っている家族は、気を紛らわせることも難しい。Yさんのご家族が現地に到着してからすでに10日以上が経っていた。彼らの疲労もピークに達しようとしていた。

 翌朝4時、我々捜索隊は、管轄警察と山梨県側の登山口で待ち合わせをした。埼玉県側から入って沢を越えて発見現場に行くよりも、山梨県側から向かった方が安全で早いという判断だった。

 待ち合わせ場所の近くには、Yさんのご家族が滞在する民宿がある。早朝から警察車両が山に到着し、その物々しい雰囲気から、ご家族はすでに事態を察していた。

 警察の山岳救助隊が、Yさんらしいご遺体が見つかったこと、これから救助に向かうこと、現場から戻るのは明日になるかもしれないことを説明する。

「今すぐに母の元へ行きたい! 連れて行ってください!」

 涙を流しながら訴えていたのは、Yさんの三男だった。そんな彼に、地元消防団の団長が言葉をかける。

「お母さんの元へ行きたい気持ちはよく分かる。けど現場までは足場も悪く、君を危険な目に遭わせたくない。お父さんをこれ以上悲しませてはいけない。辛いけど、ここは警察に任せてお母さんが帰ってくるのを待とう。自分もここで一緒に待つから……」

 こんなにも自分に真剣に向き合ってくれる人、私にはいるだろうか……。

 いや、私は救助を待つご家族に、どのくらい真剣に向き合えているだろうか。

 Yさんのことを知りたいと思い、色々と話は伺っていたものの、ご家族の不安にもちゃんと寄り添えていたと胸を張って言えるだろうか。

 そこから、私の人生で最も長い一日が始まった。

 私は、ご家族と共にYさんの帰りを待つことにした。

 この日、都心では猛暑を記録していたが、標高の高いこの地は涼しく過ごしやすかった。しかし、ご家族はやはり気持ちが落ち着かず、息子さんのひとりは、横になったかと思うと、すぐに起き上がり……ということを数回繰り返していた。

 民宿の方が、お昼に素麺を提供してくださった。

 Yさんのご家族は、みんな、ひと口ふた口だけ食べて、箸を置く。

 少しでも元気づけようと、地元消防団の団長が「麺つゆに生卵を割って入れて食べると、おいしいですよ」と教えてくれた。今でも素麺を食べる時には、この時の情景を思い出す。

 前日から、私たち捜索隊の隊長と、隊員1名が山小屋に泊まっていた。そのため、この日に入山した警察よりも一足早く現場に赴くことができ、現場周辺の風景などの写真を撮って、下山してきた。その中の1枚にリュックが写っていた。息子さんのひとりがそれを見て、こう言った。

「このお守りは、お母さんのだ」

 お守りがご家族のもとに導いてくれたのだろうか。

 翌日、Yさんは管轄警察のヘリコプターと搬送車を乗り継ぎ、警察署へ移送された後、ご自宅に戻られた。

『「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―』より一部抜粋・再構成。

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