ジャニーズ会見で再注目「東京新聞・望月記者」の記者会見トラブル歴 そこに「自己陶酔」はないのか

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とにかく質問しつづけた望月記者

 10月2日に行われたジャニーズ事務所の記者会見で、壇上の東山紀之社長や井ノ原快彦ジャニーズアイランド社長ら以外に大いに注目を集めたのが、東京新聞の有名記者、望月衣塑子氏だった。

 前回の記者会見では、東山社長に過去の性被害はないのかをダイレクトに聞き、かなりの批判を浴びた望月氏だが、そんなことで彼女の「記者魂」がくじけるはずもない。

 今回は「1人1問」「司会に指された人が質問する」といった事前の要請を吹っ飛ばす勢いで発言を続けたことで、話題を呼んだようである。

 政治に多少なりとも関心のある方ならば、これが望月記者の特徴であることはすでにご存知かもしれない。望月氏は過去にも官房長官の記者会見などで、独自の言動を示し、同業者からも批判を浴びることも珍しくなかった。時には「同じ陣営」と見られる人たちからも疑問を呈されることもあったようだ。

 たとえば2020年には、菅義偉官房長官(当時)への記者会見での振る舞いを巡り、大手新聞社同士が論争を繰り広げる騒ぎまで起きていたのである。

 以下、当時の記事を振り返ってみよう。

 (2020年2月17日掲載の記事を抜粋・再構成したものです)

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「番記者に意地悪された」という主張

 大手の新聞を政治的なスタンスで分けた場合、「産経、読売」が「保守寄り」、「朝日、毎日、東京」が「リベラル寄り」とされることが多い。ところが最近、後者の「毎日」と「東京」との対立が話題となっている。

 発端となったのは、東京新聞の有名記者、望月衣塑子氏のツイートだ。菅官房長官の記者会見でのやり取りで一躍名を上げた望月氏だが、このところ指されないことが増えてきたという。その理由について、望月氏が、

「なんと番記者たちが『望月が手を挙げても指させない』と内々で決めたとの情報が届いた。」

 とツイッターで発信したことに対して、毎日新聞の番記者が「事実に反する」と指摘。そんな決めごとは存在しない、という記事をデジタル版に発表したのだ。毎日新聞側は東京新聞にツイートの削除を要請したものの、東京新聞側はあくまでも「個人のツイート」という姿勢で要請を拒否している。

事実よりも大切なこと??

 産経新聞と東京新聞がいがみ合う構図はお馴染みだが、同じ陣営と見られていた毎日新聞と東京新聞の対立構造は珍しい。

 いささか「内ゲバ」に近い様相を示しているために、世間の注目を集める事態となった。そこに加えてさらに燃料を投じたのが、「東京新聞労働組合」のこのツイートだ(2月8日)

「一番大事なのは『望月記者のツイート内容の事実誤認の有無』ではなく『官邸の記者会見のあり方』であり『内閣記者会が政権に対峙する姿勢』がどうなのか、です。」

 望月氏を支援する気持ちからのツイートだったのだが、「事実誤認の有無」よりも大事なことがある、とも受けとれる内容だったために、一層の非難を浴びることになったようで、このツイートには批判的なコメントが多数寄せられてしまった。ジャーナリストの江川紹子さんはツイッターで、

「『官邸の記者会見のあり方』をちゃんと議論するために、基礎となる事実については、すべての関係者に努めて正確な情報発信をお願いしたい。」

「『事実』を重要視する姿勢を放棄したら、ジャーナリズムは成り立ちません。」(2月8日)

 と述べている。

反権力の象徴か

 政権に厳しい望月氏の姿勢には社内の労組のみならずシンパシーを抱く人は多い。だからこそ彼女の著書を原案とした映画「新聞記者」まで製作された。安倍政権と対決するメディア側の象徴のような存在となっている。

 一方で、政権とのスタンスが批判一辺倒であることに違和感をおぼえる人も少なからずいる。労組のツイートへの批判コメントにはそうした違和感を表明する人が目立つ。大雑把にまとめれば、

「ジャーナリストが最重要視するべきはあくまでも『事実』であって、それよりも大事なことがあるという姿勢は、結論ありきの報道につながらないか。いかなる議論も事実を前提にしなければいけない」

 ということになる。

自己陶酔の物語

 政権を追及するのは当然だが、それが自己目的化してしまっていいのか。そうした違和感を抱く人は少なくないのだろう。

 ニュース番組「飯田浩司のOK! Cozy up!」(ニッポン放送・月~金、朝6時~)のパーソナリティでアナウンサーの飯田浩司氏は、著書『「反権力」は正義ですか』の中で、この違和感について解説をしている。引用してみよう。

「『マスコミの使命は権力と戦うことだ』という意見をよく聞きます。実際にニュース番組をやっているとそうした趣旨で諭されることもあります。

 なるほど、国が進むべき道を誤りそうなとき、マスコミが警鐘を鳴らすべきだという意味では完全に同意します。ならば、報道に携わる人間は政策についてよく学び、国民への影響、メリット・デメリットを是々非々で評価すべきなのではないでしょうか。

 ところが、マスコミの中では多くの場合、『是々非々=権力寄り』と評価されてしまいます。実際に私個人や番組も、少しでも政権について肯定的な考え方を伝えると、そうした評価をされてきました。なぜ是々非々が迎合なのでしょうか? (略)

『マスコミの使命は権力と戦うことだ』という言葉は本来、民主主義を守るために必要な倫理観によって調査報道を行うジャーナリズムの精神を体現したものと、私は理解しています。ところが、それがいつの間にか『権力と戦う自分たちの物語』にすり替わっているように見えてなりません。私は、この『権力と戦う』という言葉が本来の精神を失ってそれ自体が目的化し、マスコミ報道から“是々非々”という姿勢を奪い、自らを闘士に据えた陶酔の物語に引きずり込んでいるようにも見えてしまうのです。周りから見れば、もはやマスコミは特別な存在ではないのに」

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 今回の場合、彼女が対決しようとしたのは国家権力ではなくて芸能事務所であるが、ある種の権力を持っている存在だったのは間違いない。その意味では「反権力」という姿勢を貫こうとしていると見ることは可能だろう。

 しかし、引用文にある「自らを闘士に据えた陶酔の物語」というフレーズは、今回の一件にもあてはまると感じる向きもいるのではないだろうか。

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