「マツコ会議」終焉の原因はマツコ・デラックスのムダ遣い!? 露呈した繊細さ至上主義の風潮との相性の悪さ

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「マツコ会議」、8年の歴史に幕。視聴率や収録体制など、さまざまな理由が報じられているが真相は謎である。私も初期の頃から見ていたが、最近は見なくなっていた。マツコ・デラックスさんの鋭い知性や観察眼の使われ方が、ずいぶん優等生的になってしまったからだ。若者を泣かせてあげるカウンセラーのような進行が増えたように感じた。

 それは一人MCなため同じ熱量で軽妙にやりとりできる相手が不在という構造にもあるのかもしれない。他の番組では有吉弘行さんや村上信五さんとのダブル MC体制や、「5時に夢中!」など、複数のタレントと進めることが多いマツコさん。そうした番組では、持ち味たる辛辣で的確な物言いがまだ機能している。それは本人が常々言っている、「テレビは異常な人が出る場所」という考えゆえだろう。そもそもマツコさん自身が、異形のアウトサイダーとして出てきた人だ。アクの強い共演者たちの個性を引き出し、テレビを盛り上げるための丁々発止のやりとりには、自身の出自に自覚的な賢さと責任感がにじみ出ている。

 一人MCという点では「マツコの知らない世界」もあるが、こだわりの分野への熱量が高いゲストの専門家もまた、ある種「異常な人」だ。素人ゆえにテレビの作法を知らない、珍獣のような相手もいたが、いつも楽しそうだった。マツコさんも博識で、どんな相手でもうまく話を合わせて盛り上げる様子は、ちょっとタモリさんを彷彿(ほうふつ)とさせるほどだ。

 翻って「マツコ会議」は、日本テレビのスタッフと企画会議をしている体裁で進む。そこに「異常な人」はおらず、どこかおもねるような発言や愛想笑いといった、会社員的な段取りがちらつく。最近は話題の人と中継をつなぎ、トークで相手を深掘りしていくという形式だったが、どうにもマツコさんの切れ味が悪い。それは相手が「異常な人」でありながら、「異常な人として扱われることの悩みや辛さ」を吐露する場面も多かったからだ。マツコさんには弱い部分も見せちゃいます、というゲストの本音は、テレビ的にはオイシイ。でも猛獣兼猛獣使いというマツコさんの特質を殺してしまう。放映後に躍る「マツコの言葉に号泣」「思わず涙」というネットニュースの見出しは、もはや陳腐化して見えた。でもそこに潜む「繊細さ至上主義」とも呼べる風潮が、番組終了のもう一つの原因ではないだろうか。

 マツコさんはかねてより、女子アナに手厳しいことでも有名だ。今をときめく女性たちの、カン違いした自意識や無自覚な傲慢さに対する嗅覚は鋭かった。「マツコ会議」でも、そういう角度で切り込むことはできただろう。ただゲストから「マツコさんなら話せる」と全幅の信頼を寄せられては、小姑キャラでなく秘密の話を聞くカウンセラーに徹するしかなかっただろう。昨今のテレビ業界に向けられる視聴者目線の厳しさや、ハラスメント意識の高まりも無視できない。ゲストとスタッフを裏切ってまで、自分の持ち味を貫こうとは思わなかったのではないだろうか。

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