【どうする家康】佐藤隆太演じる豊臣秀長の早すぎる死は兄・秀吉にどんな影響を与えたか

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 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、しばらく前から豊臣秀吉(ムロツヨシ)の近くにいつも侍っている男がいる。秀吉の弟、佐藤隆太が演じる豊臣秀長である。佐藤がよりによってビッグモーターのイメージキャラクターを務めていたために、なんとなく胡散臭い雰囲気が漂うのが気の毒だが、史実ではむしろ、胡散臭い秀吉を牽制する良心的な人物として鳴らしていた。

 第36回「於愛日記」では、徳川家康(松本潤)に、自分がすでに病気に冒されており、先が長くない旨を告げていた。歴史に「もしも」を持ち込むとキリがないが、もし秀長が長生きしていれば、豊臣政権はもっと長持ちしたのではないか、と見る向きは多い。

 というのも、いつも秀吉をサポートし、その行動をチェックしては、行きすぎだと思えばブレーキをかける役が秀長だったのだが、秀長が早すぎる死を迎えて以後、秀吉の暴走に歯止めがかからなくなるのである。

 九州の大名の大友宗麟が天正13年(1585)、秀吉に助けを求めた際、秀吉は手厚くもてなしたうえで、「内々の儀は宗易、公儀の事は宰相に存じ候、いよいよ申し断ずべし」と指示したという(『大友家文書禄』)。「宗易」は千利休、「宰相」は秀長のことで、「公儀の事」とは政治がらみのこと。この秀吉の言い方から、秀長が秀吉からお墨付きをもらい、大名を統制するトップにいたことがわかる。

 ちなみに、千利休もたんなる茶道家ではなく、茶道をとおして広い人脈を誇り、秀吉の家臣団をうまく回す役割を果たしていた。そして、内政面の実質的なことに関しては、秀長がサポートしていた。近くに秀長と利休がいて、秀吉の家臣団はバランスがとれていたのである。

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