逸見政孝さん「がん告白」会見から30年 長男・太郎さんの告白「ザ・昭和の頑固オヤジでした」、13億円と報じられた大豪邸その後

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会見は生中継で

――会見が行われた9月6日は月曜日だった。医師から手術の説明が9月3日金曜日に行われており、当初、会見は翌日の4日土曜日に行われる予定だったという。

太郎:土曜日に会見を行ったら、ワイドショーがないので生中継できないし、芸能ニュースで扱われるのは週明けになってしまう。月曜日に行ったほうが話題になると父は考えたそうです。わざわざワイドショーが始まる午後3時スタートにして。それを嫌らしいと言う声もあったようですが、多くのレギュラー番組を抱える父としては、それを休むことが申し訳ないので、病状を周知してもらいたいという思いもあったようです。

――会見では《3カ月、ここで休養して闘ってみようと思いました。もう一回、いい形で「生還しました」と言えればいいなと思っています》という言葉もあった。実際はどんな状況だったのだろう。

太郎:癌の手術は、この年だけで3度目でした。最初は2月、初期の胃癌ということでしたし、術後の父は元気だったので、死に繋がる感じはありませんでした。2度目の手術は8月、開腹したものの手がつけられず、そのまま閉じてしまったんです。もちろん父はその事実を知りませんでした。そして9月16日に行われた3度目の手術は、それまでとは違う病院で行われたんです。

――3度目の手術からひと月ほど経って、太郎氏は帰国した。

病床でオープニングの仕草

太郎:病室の父を見て「ガリガリになっちゃったな」と思いましたし、握手をしても「えっ!?」と思うくらい力がなかった。でも、回復に向かっているように見えたんで、一度は大学へ戻りました。

――11月になって再び帰国する。

太郎:父は「良くならないんだよね」と暗い顔をしていました。弱音を吐く人ではありませんから、それ以上話すことはありませんでしたが、日に日に弱っていくのがわかりました。それでも「いつまで日本にいるんだ」と言うので、僕は病院には行かず自宅で待機していましたが、年内はもちそうだというので、大学に戻ったんです。

――そして12月。

太郎:21日に見舞った時には、父はすでにモルヒネで朦朧としていて、話せる状態ではありませんでした。ところが、病床で突然、笑顔を作って拍手をして、番組のオープニングを始めるんです。そうかと思えば、スタッフのプロデューサーさんやディレクターさんの名を呼んだりもする。常に仕事に復帰しようという意志がありました。

――12月24日は太郎氏の21歳の誕生日だった。

太郎:すでに意識はなく、自分の誕生日に亡くなってしまいそうでしたが、何とかそれは避けることができた。結局、父は、翌25日に亡くなりました。

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