衝撃の自動車転落事故から31年…不世出の女優・太地喜和子の生き方「やる、と決めたらその作品と心中する」

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衝撃的な死の報せ

 演じる役柄に心底から共鳴し、その役柄に惚れ込み、演じきれるかどうかで選んでいた太地。芸者ぼたんも、太地の生き方と重なる面がある。

 つまり、どこか影を背負いながらも華やかで、向こうっ気の強い女性。

 共演した渥美清(1928~1996)も「本当に、こんな女が、どこかにいるよなあ、と思わせる。どこに出てきても、太地さん、ズバリそのものであるところが、あの人の魅力なんです」と語っていた。

 ぼたんの再登場を願うファンは多かった。山田監督も太地をもう一度「男はつらいよ」でマドンナとして使いたいと思っていた。

 だが、あの日、すべてが夢物語と帰した。1992年10月13日に起きた自動車転落事故。亡くなったのは太地。トップ女優の衝撃的な死を各紙は社会面で大きく報じた。

《13日午前2時20分ごろ、静岡県伊東市和田1丁目の観光桟橋から、男女4人の乗った乗用車が約2メートル下の海に転落したと、通りがかった女性が110番通報した。静岡県警伊東署員や伊東市消防署のレスキュー隊が救助に駆けつけ、運転席の後部座席にとじこめられていた東京都渋谷区初台、女優太地喜和子さん(48)=本名=を見つけ、同市内の病院に運んだが、すでに水死していた。ほかの3人は、自力で車外に出て救助されたが、女性1人が意識混濁の重症。男性2人は軽傷だった》(朝日新聞:1992年10月13日夕刊社会面)

 記事には、車を運転していたとみられるスナック経営者や同乗者の名前も掲載されていたが、ここでは触れないでおく。

 いずれにしても、太地さんらはスナックで酒を飲んだ後、海を見ようと伊東の観光桟橋を訪れた。係留されていたスナック経営者の知人の船を訪ねたが、誰もいなかったため引き返そうとして後退。そのとき誤って桟橋から転落したらしい。

 遺体は車に乗せられ、この日午後1時20分、東京都新宿区信濃町の文学座アトリエに到着。劇団員らによる仮通夜が営まれ、俳優の勝新太郎(1931~1997)や女優の乙羽信子(1924~1994)、演出家の和田勉(1930~2011)、タレントの志村けん(1950~2020)らが弔問に訪れた。

 衝撃的だったのは、その死に方だけではない。文学座の巡業公演で伊東市を訪れ、12日に同市観光会館で公演された「唐人お吉ものがたり」に主演したあとの悲劇だったことである。

「念願の役だったんです。わたしの代表作にしてみせます」

 と語っていた太地。20年来、思い描いていた役とあって、連日夜遅くまで共演の若い俳優を相手に稽古に励んでいたそうだ。

「唐人お吉」とは、幕末、日米通商条約の締結を迫るアメリカ合衆国駐日領事のタウンゼント・ハリス(劇ではハルリス=1804~1878)のもとに、奉行所の強制で差し出された芸者お吉(本名・斎藤きち=1841~1890)のことである。そのお吉を、世間は「唐人お吉」と呼んで蔑んだ。

 晩年は酒に溺れる自暴自棄の生活。破産に追い込まれ、物乞いをする生活だったという。病気を患ったお吉は自殺を決意。淵に身を沈めたという。享年48とも伝わっているが、太地が亡くなったのも48歳だったことから、「お吉の呪いか?」などと言われもした。

 単なる偶然の一致だったのだろうか。ただ、残念だったのは、太地喜和子という不世出の女優が逝ってしまったことである。

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