「強烈な排他性がある」「“内輪ノリ”と“群れる習性”が」 慶應OBらがひもとく、「慶應騒動」が巻き起こった本当の理由

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 107年ぶりの歴史的快挙を成し遂げた選手たちに賞賛の声が寄せられる一方、大学野球のような応援風景には眉をひそめ、違和感を表明する人も。慶應高校の夏の甲子園優勝。おめでたいニュースの背景を探ると、慶應義塾と「三田会」の全貌が見えてきた――。

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 それはまるで北朝鮮の「マスゲーム」のような光景だった。8月23日、「夏の甲子園」決勝の慶應義塾(神奈川)vs.仙台育英(宮城)。3―2と慶應の1点リードで迎えた5回表。2死二塁の場面でタイムリーが出て1点が入ると、慶應の応援席からは地鳴りのような大歓声が上がる。そして、

♪若き血に燃ゆる者……慶應 慶應 陸の王者 慶應

 ――応援歌「若き血」の大合唱。隣同士で肩を組んで歌うため、スタンド全体が巨大な生き物のように揺れる。歌い終わった後も休むことなく、

♪チャンスだ打てよ チャンスだ打てよ チャンスだ打てよ オー!

 と、拳を振り上げての「ダッシュKEIO」。追加点が入るとまたしても「若き血」が球場全体に響き渡り、切れ目なく「ダッシュKEIO」が続く。

 そんな異様な雰囲気の中、2死二、三塁でバッターボックスに立ったのが、「慶應のプリンス」こと丸田湊斗選手(18)である。丸田選手が放った打球は左中間にふらふらっと上がり、打ち取られたかに見えたが、左翼手と中堅手が交錯して、落球。2人の走者が生還すると、慶應側スタンドのボルテージは最高潮に。体を揺らし、声を張り上げて「若き血」を歌う一群の中には、慶應幼稚舎の児童と思しき子どもたちの姿もあった。

 結局、5回に一挙5点を取って試合を決めた慶應。しかし、彼らが107年ぶりに高校野球の頂点に立ったのは、決して偶然の産物ではない。

20年前から布石が

 幼稚舎から大学までを擁する慶應義塾の最高意思決定機関である「評議員会」。慶應が創立150周年を迎えた2008年、その評議員会では「高校野球で甲子園優勝を目指してはどうか」との案が議論されたという。それに遡ること5年の03年からは推薦入試制度が設けられ、高い内申点や、作文・面接をクリアしなければならないものの、野球部には毎年10人弱の有力選手が集まるようになった。そして上田誠前監督(66)の下で05年春、08年春夏、09年春と甲子園出場を果たし、15年秋に森林貴彦監督(50)に交代した後も18年に春夏連続出場するなど、甲子園に「戻って」きていたのだ。

 つまり、今回の優勝は「満を持して」のものだったわけである。

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