殴り合ったかと思えば泣きながら抱き合ったり 大物ロックバンド、オリジナルメンバー2人のアルコール奇行伝説

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 エリック・クラプトンとザ・フーのキース・ムーンのアルコール依存をめぐるエピソードは前編でご紹介した。後編の今回は、いまなお世界的人気を誇るハードロックバンド、キッスのオリジナル・メンバー2人の「酒浸り伝説」を見てみよう。

(以下、神舘和典著『不道徳ロック講座』をもとに再構成しました。引用文献は記事の最後にあります)

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キッスの酒浸りコンビ

 キッスのオリジナル・メンバーでリード・ギタリストのエース・フレーリーとドラマーのピーター・クリスもアルコールで自滅した。

 ジーン・シモンズの自伝を読むと、ジーンとポール・スタンレーが、ピーターとエースに手を焼いていた様子がリアルに伝わってくる。

 当時のキッスのライヴを観ると、ジーンとポールがクレイジーに見える。ジーンは火を噴き、血を吐く。ポールは空中に舞う。しかし、それはきちんと計算されたエンタテインメントだ。その一方でピーターとエースは寡黙なイメージ。しかしジーンやポールの自伝を信じるならば、ピーターとエースは扱いにくい難物だったようだ。

『ジーン・シモンズ自伝』(※1)にはこんな記述がある。

 駆け出し時代、バンドにはローディ(スタッフ)などいない。楽器も機材も自分たちで運ばなくてはならない。しかし、エースはなにも手伝わずにふらふらしている。終演後機材を積んだトラックが出発しようとヘッドライトを点灯させると、その先にエースの姿があり、立ち小便をしていた。

 エースは自らのソレを見せて言った。

「やわらかいときでも、こんなもんだぞ~~!」

 ジーンとポールは唖然とした。

 エースとピーターはいつも酒浸りで、暴力沙汰を起こす。食事をすれば、レストランのスタッフにからむ。酔っぱらって運転し、クルマを破壊する。

「女を追いかけていないときには、エースとピーターがトラブルを起こさないよう監視を怠らなかった」(※1)

 ジーンやポールが堅物だったというわけではない。おのおのが自伝で明かしているように、女性関係はかなり派手で、その点では古式ゆかしい「ロック・スター」的な人生を送っている。しかし、そういう彼らからしても、他の2人は手に負えなかったということだ。

 レコーディング前に集まってミーティングをしても、エースとピーターは会話の内容など何も聞いていない。それどころか、座っていることもできない。やがて立ち上がって、食べ物をぶつけ合ってふざけ始める。

 キッスのセールス面でのピークは1979年。アルバム『地獄からの脱出』のときだった。全米チャート9位まで上がり、シングルカットしたディスコナンバー「ラヴィン・ユー・ベイビー」は『ビルボード』誌ホット100の11位になり、バンドはアルバム・ツアーに出る。

情緒不安定すぎる

 しかしこの時期、エースとピーターはさらにひどい状況だった。

「ツアーは、かなり大がかりなものだった。エースとピーターは、ふたりともじつに情けない状態だった。お互いに噛みつき、あるときは本当に殴りかかった。そうかと思うと泣きながら抱き合ったりしていた」(※1、以下同)

 とくにピーターはアルコールとドラッグでボロボロ。もはやまともに演奏できるコンディションではなかった。

「バンド内では誰もピーターに手を差し伸べる者はいなかった。周りには、何かと誘惑も多く、気が散ることも多かったものである。そんな俺たちには、ピーターのおかげで、これでもかというほどのストレスがたまってしまうのだった」

 プロデューサーは別のドラマーの起用を勧める。しかし、マネージャーは結成時から一緒にやってきたピーターにもう一度チャンスをもうける提案をした。

見限られたピーター・クリス

 キッスのメンバーはピーターの状態をチェックするために、ニューヨークの大手リハーサルスタジオ、スタジオ・インストゥルメント・レンタルズに集まった。そこに、譜面を読めないはずのピーターが譜面と楽譜台を手に現れた。

「諸君、ボクはこれまでの生活を全面的に改めた。この半年間、ドラムはもちろん音楽を学んできたんだ。いまや、楽譜を読むこともできる。これまでのボクとはまったく違うんだ」(※1、以下同)

 ピーターは胸を張った。

「本当に楽譜の読み書きができるようになったのか?」

 ジーンが確認する。

「ああ、本当だとも──」

 しかし、ピーターの演奏はそれまで以上にひどかった。後日、ジーン、ポール、エースの3人は集まり、ピーターをクビにすることを決めた。いつもピーターと行動をともにしたエースも、このジャッジに首を縦にふるしかなかった。

 アルバム『地獄からの脱出』のジャケットにピーターの写真はあるが、彼はドラムスとヴォーカルも担当した自作の「ダーティー・リヴィン」の一曲しか参加していない。

 こうした流れはキッスというバンドの特徴だといえる。

 アルコールやドラッグ中毒になったアーティストのエピソードは数多い。彼らの振る舞いは滅茶苦茶で破滅的だったが、多くの場合、どこかで救いの手が差し伸べられている。

 しかし、ピーター・クリスは見放されていた。メンバーも監視はするけれど、本気で助けようとはしない。ビジネスライクに処理していく。

 その理由にはおそらく、ピーターの性格やドラマーとしての力量も関係していたのだろう。

 前編で触れたザ・フーのキース・ムーンはバンドやメンバーを深く愛していた。そして本人自身が愛すべき存在だった。

 そして、世界最高峰のドラマーだった。

 キースなしではザ・フーのサウンドはつくれなかったはずだ。

 一方ピーターには人間力もミュージシャンシップも足りなかったのだろう。

 ただ、リスナーとしては残念ではある。ピーターが脱退したことによって、彼があのハスキーな声でヴォーカルをとるナンバーは聴けなくなった。たとえばキッスの初期の代表曲の一つともいえる「ハード・ラック・ウーマン」は、ピーターならではの曲だったと思う。

目の前に小人が出現

 キッスのもう一人の問題児、エース・フレーリーもアルコール依存症だったと、ポール・スタンレーは自伝で明かしている。

 キッスの初期のころのエースは、ライヴが終わるまでは素面(しらふ)だった。しかし、終演後は足腰が立たなくなるまで飲んだ。

 それについて、ポールは寛大な対応をしている。

「俺にとって、彼が酒を飲むことが問題かどうかの判断基準は、彼が自分の仕事をちゃんとやるかどうかだったし、彼はちゃんと仕事をしていた。ステージを降りた後、彼が何を欲しいと思うか、それは彼の決めることだ」(※2、以下同)

 しかし、徐々にエースの様子は変わっていった。

 ある夜ポールは、モーテルの玄関ホールで四つん這いになっているエースに出くわす。

「いったい何をやってるんだ?」

 ポールがたずねると、エースはおかしなことを言い出した。

「俺の小さな仲間達がいるんだよ」

 幻影を見ていたらしい。

 そして、エースはポールに言った。

「あ! お前、今、ひとり踏み潰した!」

 エースの状態は悪化していった。1982年リリースの『暗黒の神話』のレコーディング前に姿を見せなくなった。ソロギタリストとしての活動を強く意識したのだ。アルコールとドラッグへの依存度も高くなる。ポールは引きとめたが、エースの意思は固かった。

 このあと、キッスはジーンとポールを固定メンバーとして、メンバーが入れ替わっていく。ピーターとエースが一時的にバンドに戻り、オリジナル・メンバーで活動した時期もあったが、結局また二人はそれぞれの理由から脱退する。

『不道徳ロック講座』(新潮新書)から一部を引用、再構成。

※1 『KISS AND MAKE-UP ジーン・シモンズ自伝』(ジーン・シモンズ著/大谷淳訳/シンコー・ミュージック刊)
※2 『ポール・スタンレー自伝 モンスター~仮面の告白~』(ポール・スタンレー、ティム・モーア著/迫田はつみ訳/増田勇一監修/シンコーミュージック・エンタテイメント刊)

神舘和典(こうだてかずのり)
1962年東京都出身。雑誌および書籍編集者を経てライター。政治・経済からスポーツ、文学まで幅広いジャンルを取材し、経営者やアーティストを中心に数多くのインタビューを手がける。中でも音楽に強く、著書に『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』など。

デイリー新潮編集部

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