【どうする家康】存在感のない家康、所作も作法も軽んじられ…岩盤支持層に不人気な原因は多数あった

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所作と作法も時代劇から外れている

 また、「どうする家康」が時代考証をあまり重視していないのは知られている通りだが、所作と作法も軽んじられている。ベテランの時代劇制作者に聞くと、「所作と作法がしっかりしていたら、ある程度は物語を崩しても時代劇らしくなる」そうだ。時代考証より大切なくらいなのだという。

 男女を逆転させても受け入れられた今年のNHKの冬ドラマ「大奥」が好例である。所作と作法がしっかりしていたから、嘘八百の物語がまるで実話のように映った。「どうする家康」はどうなのだろう。

 31話の所作と作法を振り返りたい。家康は信長の次男・信雄(浜野謙太・42)と連合軍を組み、秀吉と戦い始めた。総大将は信雄である。そうでなくても家康は信雄を「様」と呼び、信雄は家康を「殿」と称しているから、信雄が上の立場であることが分かる。

 ところが、戦いが劣勢となる中で、信雄がうろたえると、家康は「信雄!」と、どやしつけた。説明するまでもなく、総大将を呼び捨てにして発破をかけるなんて、あり得ない。2人の主従関係について観る側を困惑させたのではないか。

 時代考証を軽視しようが、辻褄が合って面白かったら、それでいいだろう。「大奥」もそうだった。一方、「どうする家康」の時代改変はうまくいっているかというと、微妙ではないか。

 ターニングポイントは家康の正室・瀨名(築山殿、有村架純・30)による築山事件(24、25話)を創作したこと。瀨名を、無血革命の上で争いのない国を築き上げようとした美談の人に仕立て上げた。

 瀨名は夢破れて死んでいった。その後の家康は瀨名のこんな言葉を思い出しながら、戦いに臨んでいる。「私たちの目指した世は殿に託します」(31話の回想)。目指した世とは争いのない国である。家康は瀨名の遺志を受け継ごうとしている。

 もっとも、瀨名は新しい国が実現するまでの過程でも血を流すまいと考えた。北条や秀吉らと武力衝突する家康の行動とは全く違う。家康のやっていることは瀨名の遺志とは似て非なるもの。だから観ていて釈然としない。これで家康は徳川幕府を成立させた時、瀨名から託された夢を実現させたと思うのだろうか。

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