アニソンの帝王・水木一郎の生き方 24時間1000曲を歌い続ける前人未到のライブ中に起きた奇跡的出来事

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 50代以上の多くは、この人が主題歌を歌うアニメを見て育ったはずだ。「マジンガーZ」、「バビル2世」、「侍ジャイアンツ」、「ゲッターロボ」、「宇宙海賊キャプテンハーロック」……。世界でもっとも有名な日本人歌手と言っても過言ではない男の人生とは――。日本の新聞社で唯一「大衆文化担当」の肩書を持つ朝日新聞編集委員の小泉信一さんが、様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今回は「アニソンの帝王」にして「アニキ」こと水木一郎(1948~2022)の「ゼェーーット!」な人生に迫ります。

「一緒に山に登りませんか」

「アニメソング(アニソン)の帝王」と呼ばれる水木一郎を初めて取材したのは2014年5月だった。ファンから「アニキ」と呼ばれるほど気さくな人柄で、インタビューの間は笑いが絶えなかった。

 このとき、どういう流れでそうなったのか覚えていないが、筆者はがん患者で(2010年に前立腺がんが発覚)、がんの摘出手術後も治療中であることを水木に明かした記憶がある。アニキなら、いい言葉を返してくれるはず――。そんな期待をしていたのだろう。

 そのときの水木は、とても心配そうな顔をして、「体のためにいつか一緒に山に登りませんか」と誘ってくれた。

 ダイエットを兼ねて高尾山(東京・八王子市)に登ったことがきっかけで登山に魅せられた水木は、事務所のスタッフらと「アニソン登山部」を立ち上げた。山頂で「ゼーーット!」と雄叫びを上げ、ポーズを決めて記念写真を撮っているのだという。アニソン登山部にはタレントの中川翔子ら歌手仲間も参加している。「なので気軽に参加しませんか」というのだ。

 なかなか予定が合わず、結果的には参加できなかったが、一緒に山に登ったらきっといい話が聞けただろうなあと後悔している。

 そのときの取材から数日後、私は三重県の伊賀市文化会館にいた。水木のコンサートである。最高潮に達した会場の熱気をいまも覚えている。

 ステージ上でスポットライトを浴びる水木は、気さくだったインタビュー時とは異なり、舞台では神々しいオーラを放っていた。

 トレードマークの赤いマフラーをなびかせ、激しいアクションとともに、

「マ、ジ、ン、グァー、ゼーーット!」

 客席を埋め尽くした約1000人のファンも体を揺らし、「ゼーーット!」と雄叫びを上げた。

 人気アニメ「マジンガーZ」の主題歌などをたっぷり歌い続けること2時間半。詰めかけた親子3世代のファンも「アニキ~」とステージに向かって熱い声援を送った。

世界一有名な日本人歌手

 この日、会場に来たのは、朝日新聞の朝刊別刷り「GLOBE」(当時)の企画「突破する力」の取材だった。「アニソン」という言葉すらなかった1970年代から第一線を走り続け、持ち歌は1200曲にもなる水木。まさに「突破力」がなければそのような偉業は達成できなかっただろう。

 なんと、インターネット百科事典ウィキペディアで「水木一郎」の項目は、90以上の言語に翻訳されている。

 世界一有名な日本人歌手の一人と言ってもいいだろう。フランスでも中国でもシンガポールでも、「Z」を「ゼット」と発音しない国でも、水木の「ゼーーット!」という歌声に合わせ、大勢のファンが熱唱する。こんな人は他にいない。

「日本の文化って、日本人が気づかないうちに外国で認められたりすると、ワッと騒ぎ出すところがある。でも僕は、アニソンの素晴らしさを伝えたいと思って歌い続けてきただけだ」

 水木は淡々とそう語っていた。

 そんな病気とは無縁に見えた水木の声が、突然、出なくなった。2021年4月。声帯不全麻痺 と診断されたが、検査の結果、肺がんに冒されていることもわかった。

「ショックだった。どんな病気になってもいいが、このまま歌えなくなるのではないかということが一番不安だった」

 放射線治療と抗がん剤治療を進め、病気は落ちついたかに思えた。だが、再発してしまった。ヒーローソングを歌い続けてきた水木。「どんな敵にも勝つぞ」と治療の効果を信じ、病院内では努めて明るく医師や看護師に接し、人気者だったという。もともと人なつこく、明るい性格の水木である。「余計な心配を掛けたくない」と思っていたに違いない。

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