高校時代は全然パッとしなかったのに…プロ入り後、脅威の“大化け”に成功した歴代投手

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甲子園では打者一本だった「斎藤隆」

 現在プロで活躍中の投手のほとんどは、高校時代から押しも押されもせぬエースとしてバリバリ投げていた。その一方で、高校時代はほとんど登板機会がなく、あるいはベンチ外だったのに、卒業後に大化けしてプロで大輪の花を咲かせた投手もいる。【久保田龍雄/ライター】

 高校時代は控え投手。3年夏に出場した甲子園では打者一本だったのに、プロ入り後、横浜のエースとして日本一に貢献するなど、日米通算112勝139セーブを記録したのが、斎藤隆(横浜、ドジャース、楽天など)である。

 3人兄弟の末っ子に生まれ、甲子園に出場した長兄と次兄を追って東北高に入学した斎藤は、中学時代は内野手だった。

 だが、3年春の県大会では、斎藤も投手陣5人の中に加わり、準決勝の仙台育英戦で先発して3イニングを投げるなど、継投パターンの一角をなしていた。夏の県大会では同学年の橋本一成がエースになり、斎藤は5番ファーストとして準決勝までの5試合で16打数6安打3打点を記録した。

 そして、準決勝の気仙沼戦、連投の橋本を休養させるため、斎藤が先発のマウンドに上がる。

大学世代トップの“速球派”に成長

 初回をゼロで抑えた斎藤だったが、2回に2安打と死球で1死満塁のピンチを招いたあと、投ゴロの処理を誤り、1点を失う。さらに次打者の投前バントに浮き足立って転倒し、2点目。ここで交代を告げられ、高校最後の登板は、わずか「1回1/3」で終わった。

 この試合を7対5と打ち勝ったチームは、決勝でも春に敗れた宿敵・仙台育英を4対2で下し、甲子園出場の夢を実現。斎藤は「東北に入って良かった」とうれし涙にくれた。

 甲子園では、1回戦で智弁和歌山に2対1で勝利し、斎藤も2安打を記録した。だが、2回戦の帝京戦で芝草宇宙(元日本ハムなど)にノーヒットノーランを喫し、0対3で敗れた。

 東北福祉大でも内野手を続けた斎藤だったが、2年の秋に伊藤義博監督から突然「やれ」と投手転向を命じられる。試合前の昼食後、遊び半分でブルペンに入り、キャッチボールをしていた姿が、たまたま目に留まったのだという。

 これがきっかけで本格的に投手に挑戦すると、4年時には大学生世代トップの速球派に成長し、ドラフト1位でプロ入りへの道が開けるのだから、人間の運命は何が幸いするかわからない。

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