「少子化は解決できる問題ではない」「一度国を“ご破算”にすればいい」 養老孟司が語る少子化問題

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「安全」を優先してしまう日本人

 昔、松下幸之助さんの財団が日本人留学生向けに奨学金制度を設立したというニュースを見た時、私は「何でそんなことするんだ」と思ってしまったんです。農家出身の松下さんは金がなくて、苦学して、苦労して、世界的企業の礎を築いてきた。日本で彼なりの教育をできないんですかね。なぜ若い人に「俺と同じようにやれ」と言えないのか、と憤りを感じました。この例に限らず、日本では、自分が育ったように子どもを育てないというのが、進歩的な考えだとされてきたのです。

 子育てって、文化によって感覚がだいぶ違います。私が、1970年代にオーストラリアに留学していた際、ドイツ人の赤ちゃんを預かったことがありました。お母さんはお医者さんだったのですが、土足で入る部屋をその赤ちゃんがハイハイしていて、落ちているものをすぐ口に入れてしまう。僕が「放っておくと危ないんじゃないの」と言うと、彼女は「大丈夫、食べられないものは吐き出すから」と言う。お母さんがそれほど心配していないんですね。

 日本の場合、子どもを遊ばせるときに何を最初に考えるか、と親や学生に聞くと「安全」と答えます。私はその答えを聞いて仰天しました。保育園でも園児がけがしたりすると、保育園の責任になってしまう。世界は危険に満ちていて、そこを幼い子どもが歩めば、けがをすることはある。その危険を親の方がわざわざ隠そうとしているのです。

「いない」ことと同じ

 確かに子どもは知力も体力もない、完全なる弱者です。ただ、子どもは基本的に「自然」ですから、大人のシミュレーションは効かないんです。一方でいまの日本はシミュレーションに基づいて、都市化されています。私の言葉で言うと「脳化」です。そうすると、都内の空き地に草や木が生え、昆虫や動物がいても人はそれを「自然」とは認識しない。ただの空き地だと思うだけです。その世界では社会的、経済的弱者である子どもの存在は認められません。価値がないと見られ、「いない」ことと同じになってしまっているのです。空き地の木と一緒です。子どもを「こういうふうに育てれば、こういう大人になるはず」という投資的な対象として見てしまっている、と言ってもいいでしょう。

 そうした考えや世界観は変えることができるのでしょうか。

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