日本共産党の志位委員長が、批判されるといつも使う“決まり文句” 元幹部は「誤魔化す体質は今に始まったことではない」

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野中広務の“反共攻撃”

 共産党のナンバー4にあたる政策委員長を務め、2005年に離党した元参議院議員の筆坂秀世氏は、「批判され、それに反論できない場合、昔から共産党は“反共攻撃”と主張するのが常套手段でした」と苦笑する。

「もし今の日本が、あと一歩で社会主義革命が実現するような社会情勢なら、“支配勢力”は本気で反共攻撃を行うでしょう。しかし、今の共産党は、党勢を伸長させているどころか退潮に苦しんでいます。弱体化が深刻な組織を攻撃する暇人はいません。ほったらかして自壊するのを待つのが得策です」

 念のため、歴史上の「反共攻撃」と、共産党が過去に「攻撃された」と主張した事案を比較してみよう。

 1991年2月、ソ連の保守系新聞は、ロシア共和国の最高会議議長だったボリス・エリツィン氏(1931~2007)を「反共産党の筆頭」と強く批判した。

 8月、エリツィン氏は保守派による「ソ連8月クーデター」を粉砕、11月にロシア共産党の活動を禁止し、12月にソ連は崩壊した。エリツィン氏はロシア連邦の初代大統領に就任したが、彼が“反共攻撃”を仕掛けたのは間違いなく、だからこそ保守派は紙面で必死に訴えたのだ。

 一方、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は1999年3月30日、「野中官房長官が京都で反共攻撃」との記事を掲載した。

 当時、官房長官だった野中広務氏(1925~2018)が京都府議選・市議選のため応援演説を行った。その野中氏の発言を読売新聞は《共産にこれ以上、議席を与えてはならない》と報じたが(註2)、同じ発言を赤旗は《攻撃》と伝えた。

《「共産党は、われわれがこういったからこんなことが実現したとかいってるが、京都府や国の予算に反対している。選挙になると耳障りの良いことばかりいっているが、革命の綱領は変えていない」などと日本共産党を攻撃しました》

 野中氏は自民党の候補者に檄を飛ばしたのであり、選挙では日常的な光景だ。ところが、共産党の手にかかると“反共攻撃”に擦り替えられてしまう。

“反共攻撃”のレッテル

「確かに“反共攻撃”という言葉が説得力を持った時代もありました。1980年、日本社会党と公明党は連立政権を目標とした『社公合意』を締結し、共産党を排除。国会で与野党の協議が行われても、共産党は蚊帳の外に置かれました。選挙では反共ビラが撒かれ、聖教新聞も『共産党はハイエナ』といった荒っぽい批判記事を連日のように掲載しました。ただし、当時の共産党は、議員や党員の数も、赤旗の発行部数も、現在とは比較ならないほど多かった。政界で存在感を示していたからこそ、攻撃の対象になったのです」(同・筆坂氏)

 共産党が「反共攻撃」と反論したことに筆坂氏が今でも疑問に感じているのは、1989年の天安門事件と、先に触れた91年のソ連崩壊だという。

「有権者は『やはり共産主義には問題があるのでは?』と不安視し、共産党の支持率が低下しました。これに党は『事件を利用した“反共攻撃”が繰り広げられたのが原因だ』と主張しましたが、それは違うでしょう。天安門事件もソ連崩壊も歴史的事実です。事実は事実と認め、他党の批判には堂々と反論、有権者の不安には丁寧に説明して理解を求めることが唯一の対処法だったはずです。正鵠を射る指摘に反論できない場合、“反共攻撃”を持ち出してごまかす日本共産党の体質は、今に始まったことではないのです」

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