昭和の伝説的“遊び人グループ”「野獣会」とは何だったのか? 元メンバー・田辺靖雄が明かす「大原麗子デビュー秘話」と「後見人」

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 昭和の芸能史にその名を刻む野獣会。夜の街で幅を利かせるワルのグループとも、キラ星のごとき一流が集った伝説のサークルともいわれる謎多き存在の真実を、中心メンバーだった歌手・田辺靖雄氏の証言と初公開秘話からライターの華川富士也氏が明らかにする。

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 ここ数年来、昭和時代の日本が生んだ文化に改めて光が当たっている。代表的なものが「シティポップ」。1970年代後半~80年代にシンガーソングライターの山下達郎、松任谷由実、林哲司らが生み出した楽曲は、いまや世代と国境を超えて世界中にファンを広げる。

 そんな昭和文化の産物の中で、名前こそ知られていながら、誤解と間違った情報が流布され続けているのが「野獣会」だ。

 超有名女優、俳優、タレントが居並び、夜の街でその名を轟かせた伝説の集団。聞くだけで謎めいているし、昭和の昔の話ともなれば証言も決して多くはない。

 野獣会のことを、遊び慣れた芸能人のグループに冠せられたニックネームのようなものと思っている人もいよう。が、そうではない。これまでほとんど存在とその役割を知られてこなかったある人物が、ある目的で集めた若者たちの名称なのだ。

 目的とはズバリ、彼らを芸能界デビューさせることである。

「拠点は赤坂」

 野獣会の名は1961年に使われ始めた。結成年と言っていいだろう。芸能人予備軍となるティーンエイジャーや、モデル、美容師、ファッションデザイナーらがメンバーだった。

 代表的な芸能人予備軍は、女優の故・大原麗子(46年生まれ)、俳優の故・峰岸徹(43年生まれ)、グループサウンズのバンド「ザ・スパイダース」の元メンバーで俳優、タレントとしても活躍した井上順(47年生まれ)らそうそうたる顔ぶれだ。野獣会の活動時期にはみな10代だった。

 そして今回話を聞いたのが、歌手で日本歌手協会第8代会長の田辺靖雄。こちらは45年生まれの現在78歳、野獣会の中心にいたとされる人物である。

 野獣会は活動時はもちろんのこと、平成の世を迎えて以降も何度も雑誌で特集が組まれ、2001年には日本テレビ系列で「六本木野獣会」という深夜ドラマも放送された。が、今なお誤情報も多く、田辺は「後世に正しく姿を伝えたい」と取材に応じた。

 まず、野獣会はどこかに根城でもあったのか?

 田辺は言う。

「新宿区の四谷警察署近くの安アパートが連絡事務所になっていて、そこに夜な夜なメンバーが集まり、適当な時間になったら赤坂の店に移動してみんなでワイワイやっていました。メンバーは30人ぐらいいたかな。赤坂見附のすぐそば、いま赤坂エクセルホテル東急が建っているところに、かつて『シャンゼリゼ』という日本初のオープンカフェがあったんです。そこが僕らの拠点でした」

 シャンゼリゼは当時、芸能人や時代の先端を走る人たちが集まる店として有名だった。ところで、だ。ここでひとつの疑問が湧く。

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