「ウッズ」「ブーマー」が大激怒! 両軍がベンチを飛び出す“乱闘”を誘発した「余計な一言」

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なだめに来たコーチに殴りかかる

 死球への怒りを一度は封印したのに、一塁に歩いた直後、なだめに来た相手コーチに暴力を振るおうとしたのが、阪急時代のブーマーである。

 1987年5月3日の西武戦、0対0の4回無死一塁、渡辺久信のカウント1-1からの3球目、144キロ直球がブーマーの左肩をドスンと直撃した。

 ブーマーは怒りの形相で5、6歩マウンドに歩みかけたが、グッとこらえて一塁へ向かった。
 
 ところが直後、西武ベンチから土井正博コーチが飛び出し、一塁ベース上のブーマーを「まあまあ」となだめると、何を勘違いしたのか、突然殴りかかろうとした。これを見た両軍ナインがマウンド付近に集まり、乱闘になりかけたが、ブーマーは数人がかりで取り押さえられ、退場者なしで事なきを得た。

 たとえ善意からの行動でも、カッカしている相手、ましてや外国人には通じにくいので、余計なことはしないに限るようだ。
 
 すんでのところで退場処分を免れたブーマーは6回、渡辺からバックスクリーンに“怒りの先制ソロ”を叩き込んでいる。

古田のメガネが吹き飛ぶ大乱闘

“止め役”の捕手が相手の言葉にカッとなり、殴ったことがきっかけで大乱闘になったのが、1996年6月29日のヤクルト対阪神である。

 7対4とリードしたヤクルトは8回、先頭の古田敦也が打席に入ると、嶋田哲也はカウント1-0から3球続けて胸元、頭部付近をえぐる球を投げた。

 1球目は嶋田をにらみつけ、2球目は捕手・山田勝彦に文句を言った古田だったが、3度続けてとなると、ついに我慢も限界に達し、バットを放り投げてマウンドに向かおうとした。

 山田が前に立ちはだかり、体を張って止めようとすると、古田は「狙ったんか?」と語気を荒げて胸を突き出した。

 すると、山田も「古田が“狙ったんか”とわけのわからないことを言ったので、つい手を出してしまった」と顔面に右フックをお見舞いする。

 古田も負けていない。山田の首を抱え込むと、相撲技の首投げよろしく、グラウンドに叩きつけた。「すわ一大事!」とばかりに両軍ナインが飛び出し、ラリアットやジャンピング・ニードロップが炸裂する大乱闘に発展した。

 試合は6分中断し、当事者2人が喧嘩両成敗で退場になったが、古田のメガネは吹き飛び、ベンチに連れ戻された山田の顔にも大量の泥が付着していた。

 山田は「手を出したのは古田のほうが先だと思う」と主張。一方、古田は「退場は嫌だから、手を出さないよう意識した。(首投げは)それ(先に手を出した山田)を振り払おうとして」とお互いの言い分は平行線を辿った。

 だが、ヤクルト・野村克也監督が「2球も3球も頭に来たら、故意ではないわけがない。偶然と言うなら、プロのピッチャーとは言えない」と評したように、ファンは概ね古田に同情的だった。

 お互いが興奮状態なのはわかるが、止め役までが理性を失ったら、収まるものも収まらなくなる見本のような乱闘劇だった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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