シティ・ポップのレジェンド「林哲司」は代表曲「悲しい色やね」が嫌いだった? 本人が明かした真相と、作詞家に伝えた言葉

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関西弁の歌詞に“曲が台無し”

 今年でデビュー50周年を迎えた作曲家の林哲司氏。2020年に松原みきの「真夜中のドア~Stay With Me」(1979年リリース)が世界的にヒットするなど、作品に改めて注目が集まっている。そんな林氏が手がけた名曲のひとつ「悲しい色やね」について、「実は林さんはこの曲を嫌っている説」が流れているのをご存じだろうか。「有名作詞家がつけた詩にガッカリした」とも言われているのだ。しかし最近、その2人が話し合ったという。一体、何があった?【華川富士也/ライター】

 今からちょうど40年前の1983年5月26日。当時大人気だった音楽番組「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」コーナーに、歌手の上田正樹が初登場した。歌ったのは前年の10月に発売された「悲しい色やね」。作詞・康珍化、作曲・林哲司という昭和時代に次々とヒット曲を生み出したコンビによる名曲のひとつだ。

 実は同曲、発売から長くヒットチャートとは無縁の状態が続いていた。しかし、曲の良さが口コミとラジオと有線放送でじわじわと伝わっていき、10ヵ月かけて「ザ・ベストテン」の入り口にたどり着くと、歌を聴いた視聴者を魅了して7月には9位にランクイン。その後、7週間ベスト10に入り続け、今に至るまで長く愛され続ける昭和の名曲となった。

 この曲の特徴の一つが「泣いたらあかん」と関西弁が混じる歌詞だ。しかし、実は林氏が関西弁部分を聞いてがっかりして曲を嫌いになった、という話がある。他でもない作詞した康氏が書籍『杉山清貴&オメガトライブ 35年目の真実』(2018年)で証言しているのだ。

 当該部分を引用すると、

<ところが林さん、『悲しい色やね』は嫌いだったの、詩を関西弁で書いたもんだから。“こんな詩つけられて、曲が台無しだ”って思ったって後から聞いたんで(笑)>

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