「自民党」分裂から30年――政権交代を二度成し遂げた「小沢一郎」の独白「自民党にいたら死ぬまで左うちわだったよ」

国内 政治

  • ブックマーク

Advertisement

「俺は小沢一郎を総理にしたかった」

――当時、側近と言われていた経世会の七奉行、奥田敬和さんとか渡部恒三さんと羽田孜さん。行動した時の同志たちはどうだったか。

小沢:奥田君は決起しようと、初めからね。渡部さんはどっちだか分からないところもあって(笑)。だけど、若い連中がやるっていうもんだからついてきた。裏話があって、渡部さんが反対側にいた梶山(静六)さんと話した時に「どうせ離党するといっても4、5人だから心配ないよ」と伝えていたんだな。で、梶山さんはそのガセネタに騙されて解散を強行した。宮澤総理もそれに乗っちゃったわけだ。その結果、自民党は過半数割れ。政権交代になった。

――別れ別れになって激しく戦ったけど、梶山さんは僕が一対一で取材した時に「俺は小沢一郎を総理にしたかった」って言ったんですよ。

小沢:うん、彼はそう言ってくれてた。彼と私の、ある意味での仲違いというか、それは私が先に自民党の幹事長になっちゃったからなんだよ。彼は先輩で、私を育ててやろうと思ってくれていた。だから、金丸(信)さんに「幹事長」と言われたときに断ったんだよ。「幹事長なんてとんでもないです」って。ところが、金丸さんが私をえらい可愛がってくれていて、「何を言うんだ、ふざけるな、お前やれ」って。梶山さんはやっぱり憮然としてた。そこからなんだ、梶山さんがちょっと距離を置き始めたのは。

 私はあの時、梶山さんを幹事長にして、自分は国対委員長でいいと金丸さんに言ったんだよ。もしそういうふうに逆だったら、ごくごく順調に行って、そうすれば梶山さんも選挙制度を「うん」って言ったかもしれないね。私が選挙制度やってくれって頼めば。そうなれば全然違ってたね。もしかしたら自民党の中で小選挙区制ができたかもしれない。梶山さんと私が同一歩調でやったら自民党全体を説得できるから。

――戦って別れた仲間には橋本龍太郎さんもいた。

小沢:龍ちゃんとは仲良かったよ。私が一人もんの時にね、「いい人いたら頼みます」って言ってたら、じゃあ、紹介してやると言ってくれたんだけど、それが「実は俺が1回見合いした相手だ」って言うんだよ、ひどいよね(笑)。まあ先輩にお願いしていたのは私だし、結局は会った。だけど、先輩ごめんなさいって(笑)。

――小沢さんの敵だった梶山さん、橋龍さんだけど、あの頃の政治家の行動原理ってみんな……。

小沢:何かを持ってたんだよね。その中身が、何もそんな崇高なものであるかどうかは別として、自分の誇りというか矜持というか大義というか。あったね。うん。

※以下、「後編」に続く。

鈴木哲夫(すずき・てつお)
1958年生まれ。早稲田大学法学部卒。テレビ西日本報道部、フジテレビ政治部、BS11報道局長などを経て2013年からフリー。永田町取材30年のほか防災もライフワーク。著書に「最後の小沢一郎」(オークラ出版)、「期限切れのおにぎり~東日本大震災の真実」(近代消防社)など多数。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。