苛烈なイジメ描写も世界的人気作に 相撲ドラマ「サンクチュアリ 聖域」の功罪

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 Netflixで5月4日に公開されたオリジナル・ドラマ「サンクチュアリ-聖域-」が話題になっている。国内のテレビ部門ベスト10の上位に入っているばかりか、海外でも支持を集めているという。SNSのコメント欄を見ると、9割以上の視聴者が「面白い」「一気に見た」「大相撲が見たくなった」など、熱いコメントを寄せている。若者、そして女性の視聴者も少なくない。近年、相撲がこれほど若い世代から熱い眼差しを受けた事例は他にあっただろうか?

目を背けたくなる抵抗感

 主人公、一ノ瀬ワタル演じる猿桜(えんおう)は寿司屋を営む父を敬愛する少年だった。が、家業の破綻をきっかけに和やかだった家庭が崩壊、荒んだ日々を過ごす。かつては柔道で将来を嘱望された彼は、自暴自棄の中、親方(ピエール瀧)のスカウトを受けて相撲部屋に入門する。実家を出て上京したのは、希望に燃えてではない。昼間から安アパートに男を連れ込む、若いころと変わり果てた色狂いの母親(余貴美子)と、廃人のように無気力な父親(きたろう)に耐えられなかった。そして、とにかく大金をつかむために相撲を選んだ、それだけの理由だ。

 相撲部屋では、想像を絶するイジメと可愛がりに遭う。大相撲の内情を少しは知っているスポーツライターから見れば、「かつての相撲界では、実際に展開されていた風景に近いのかもしれない」と思わされるリアリティがある。だが、「さすがにいまはもうここまではないな」と首を傾げ、溜息も出た。そして何より、「目を背けたくなる抵抗感」で胸の奥が締め付けられた。ドラマの序盤から度を超えた暴力シーンが展開され、私は数分で見るのをやめようかと思った。陰惨なイジメ、金と欲のためなら悪事を厭わない親方衆と角界に群がる後援者たちの胡散臭さは正直、見るに堪えない。

スポーツ・ウォッシュ

 思いとどまったのは、作品の底流に「相撲に対する情熱のかけら」を感じたからだろうか。そして、画面の中に一筋の涼風が現れた。相撲にまったく関心のない若い女性新聞記者(忽那汐里演じる国嶋飛鳥)の鋭い眼差しの魅力。主人公と住む世界は違うが、体制から弾き出され反発する姿に光を感じた。彼女は政治部のエリート記者だったが、上司との不倫をきっかけに運動部の相撲担当に飛ばされた。そんな窓際ではやる気も起こらない。ところが、稽古場でイジメ抜かれる主人公を見るうち、理不尽な目に遭う自分と重なったのか、夢中になって取材し、応援するようになる。彼女の気持ちの変化は見る者の想いをも誘発し、次第にドラマに引き込まれてゆく。

 私がこの作品について書いている理由は、まさにここにある。最初はひどく抵抗を感じた暴力的な描写、悪党どもの所業にいつしか慣れてきて、その先にある感動のようなものにすっかり取り込まれてゆく。

 昨今、「スポーツ・ウォッシュ」という言葉が世界中で警句に使われている。サッカーW杯カタール大会もそうだった。スポーツの感動で、裏側にある政財界の悪辣な企みや劣悪な労働環境・死亡事故などがすっかり洗い流されてしまう、それに「欺かれてはいけない」「スポーツを悪用されてはいけない」という認識の高まりがある。この作品にも同じカラクリを感じた。「ドラマ・ウォッシュ」とでも言えばいいだろうか。暴力やイジメが、ドラマの感動によって洗い流され、肯定されるとまでは言わないが、「やっぱり必要悪なんだよね」といった納得感が見た人の心に定着してしまう恐れがある。

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