「雅子さまの人気が上がると紀子さまの人気が下がり…」 不思議な「シーソー関係」を振り返る
1993年のご成婚前、東京・池袋付近で雅子さまと“遭遇”したことがあります。私はその頃、美大を目指して予備校に通っており、帰りに偶然お見かけしたのです。友人と一緒に手を振ったら雅子さまも笑顔で振り返してくださり、さっそうと歩かれるお姿からは強烈な有能感が溢れていました。
当時の報道によれば雅子さまは、モスクワやニューヨーク、ジュネーブなどで過ごされた帰国子女で、自宅には日頃から百貨店の外商が出入りしているとのこと。いわゆる「お嬢様」とはこういう方なのかと思ったものです。「3LDKのプリンセス」と呼ばれた秋篠宮妃の紀子さまは、かわいらしくもどこか周囲にいそうな感じで親近感を覚えていたのですが、同じお妃でも全くタイプが異なるのだと感じさせられました。
それでも、はつらつとした笑顔はいつしか、こわばった表情へと取って代わられていきました。「お世継ぎ」のプレッシャーとともに、その重圧をはねのける活力を海外ご訪問などで蓄えられるはずが、封じ込められてしまった。これらがお苦しみに拍車を掛けてしまったのではないでしょうか。
センスが良く完璧主義の美智子さま
聞けば当時は、皇室の中もぎくしゃくしたご様子だったとのこと。美智子さまはセンスが良く完璧主義で、衣装のデザインも細部までこだわられると聞いたことが。そうした細やかさが、ご公務や行事に臨まれる際のなさりようにも及んでいたのではないかと思われます。長男の妻となれば、一挙手一投足が気になってしまうもの。宮中祭祀の所作などでも、雅子さまを「ご指導」なさる場面があったのではないでしょうか。
敬虔(けいけん)なクリスチャンの美智子さまは、目に見えない力を信じるお心をお持ちで、祈りの大切さもまた身に染みておられたのでしょう。対して雅子さまはおそらく合理的な思考をお持ちで、皇室においても独自の道を歩まれてきました。そうした相違も、お二方の関係に影を落としていったと思われますが、その点、紀子さまは美智子さまの映像を取り寄せ、懸命に所作をまねていらっしゃったといいます。こうした「順応力」は、皇室になじんでいく上で重要だったのでしょう。
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