「セイコーエプソン」時計部門の失敗 原因は“雇われワンマン”の「セイコーグループ嫌い」

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脱セイコーグループ

「CI(コーポレートアイデンティティ)」とは、企業の存在価値を高めるためのブランド戦略のこと。目下、CI音痴との批判に晒される経営者の一人に、「セイコーエプソン」の碓井稔会長(68)がいる。同社は家庭用プリンター大手として知られているが、祖業は時計部門。碓井会長がその祖業を蔑(ないがし)ろにし、ブランドイメージを損ねてしまったというのだ。

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 東大工学部を卒業した碓井氏が「ブリヂストン」を入社後半年足らずで辞め、セイコーエプソン前身の「信州精器」に入り直したのは79年11月のこと。技術者としてプリンター開発に携わりつつ、出世の階段を昇った。2002年に取締役、07年の常務を経て、社長に就任したのは08年6月だった。

 経営コンサルタントの解説によると、

「トップに就いた碓井さんは、“脱セイコーグループ”を画策しました。手始めは、そもそも支援する関係だったオリエント時計の完全子会社化。オリエント時計はバブル期の財テク失敗で経営危機に瀕した。そこに救いの手を差し伸べたのが、セイコーエプソンでした。プリンター部品などを生産させ、経営再建を図った。結果として、セイコーエプソン向けの売上が半分を占めるようになりました」

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