「働かない社員」がいた方が企業は存続する? 数理物理学者が提言「社会には無駄な3割が必要」

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少し無駄を抱える「準最適化」

 従って、私は「最適化」という言葉を嫌っています。業務の最適化。確かに聞こえはよく、環境が一定であれば「10人を目いっぱい働かせる」ことを最適化と言うのは可能でしょう。

 しかし、先ほども申し上げたように環境は必ず変化します。そして、ある環境で最適化を果たした企業は、往々にしてその他の環境には適応できません。つまり、その最適化はあくまで時限的なものに過ぎず、環境の変化を考慮すれば最適化でも何でもなく、むしろ不適化の道を歩んでいるとすらいえるのです。ですから、最適化の一歩手前で少し無駄を抱える「準最適化」こそがベスト。これが私が導き出した結論です。サボる社員がいていいのです。

 ポスト・コロナ時代を迎えつつある今、私たちは適切に無駄と向き合えているでしょうか。

賑わいを通り越して危険水域に

 例えばインバウンドです。かつての活気をもう一度と、盛んにインバウンドの復調が喧伝されています。しかし、空港はすでにごった返し、有名観光地も外国人観光客で立錐の余地もない状況が生まれつつあります。

 それもそのはずで、人々の観光に対する意欲はコロナ前に戻るどころか以前より増し、このままだとコロナ前の1.5倍の混雑が予想されているからです。コロナ禍で鬱屈(うっくつ)していた分、その反動で人々の欲望はさらに肥大化することが想定されているわけです。どこかに無駄、すなわちゆとりを作っておかないと、再び梨泰院事故のようなことが起きないとも限りません。人が集まる密度においても満員の7割くらいが限界で、これをわれわれは臨界と呼んでいますが、臨界を超えると賑わいを通り越して危険水域に入ってしまうのです。

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