ゴルフに魅せられた若者が動かした 初の企業名メジャー大会「中日クラウンズ」誕生裏話

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トヨタの息子がライバルの本田に頭を下げるとは

 トヨタは最高級のクラウンを発売したばかりである。しかし昭和41年はオリンピック後の不況で車は売れず苦戦中だった。まして高級車にはなかなか需要がない。しかしゴルフ大会は近づいている。パンフレットもテレビ中継も準備が進みタイムリミット。上司の神谷社長に言い辛く返事に窮する。親子の確執はエスカレートした。ついに加藤純氏は「こりゃダメだ!」と怒って本田自動車に鞍替え、交渉に入った。本田はやる気。すると「トヨタの息子がライバルの本田に頭を下げるとは」と社内でもその噂が広がる。息子の純氏の顔は丸潰れだ。

 遂にタイムリミットが来て「中日本田ゴルフ」と大会名を変えることになった。そのことを名古屋の父親に知らせるとガチャッと電話が切られる。「諦めたか」と息子は寂しい思いに。その数分後に「待て! 賞金800万だな!」と怒った返事。

 あまりのハプニングに純氏は呆然。どっと疲れに襲われる。初の企業名がついたメジャー戦はこうして誕生するが、加藤純さんのご苦労のほどはあまり知られていない。その理由のひとつが、大会後、クラウンが売れに売れまくったからである。大成功のイベント第一号だ。翌年、父親の加藤誠之氏は専務に就任し、1975年社長になる。まさに中日クラウンズさまさまである。

早瀬利之(はやせとしゆき)
作家。長崎生まれ。鹿児島大学剣道部出身。剣道5段。師範。旧陸軍戸山流居合愛好家。元アサヒゴルフ編集長。ゴルフと剣道関係作品に『ジャンボ―尾崎将司挫折と栄光の軌跡』『杉原輝雄もう一度勝ちたい』『気の剣―剣聖十段斎村五郎』『昭和武蔵・中倉清の生涯』。『タイガーモリと呼ばれた男』で第2回ミズノスポーツライター賞受賞。石原莞爾研究家。

デイリー新潮編集部

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