灘高、東大、ハーバード卒「26歳」の史上最年少市長 当選の裏に“華麗なる応援団”がいた

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もっと芦屋らしい街に

 高島氏は、大規模な演説集会をあまり行わなかったが、こまめに少人数の対話集会を繰り返した。その上、TikTokなどSNSを駆使して発信してきたことが支持につながった。

 投開票日の前日23日の土曜日に午後から開かれた、南芦屋浜の集会場での対話集会を覗いてみた。高島氏は、JR芦屋駅の北側はよく整備されているが、南側は開発が遅れていることを指摘。

 ようやく整備されることになったが、「200億円もかけて11階建てのマンションを二棟建てるだけ。これでは普通の街にしかならない。もっと芦屋らしい街にしなければ。今ならまだ市は契約を結んでいないから間に合う」などと訴えた。

 後半は参加者の意見に熱心に耳を傾ける姿が印象的だった。

「芦屋の市役所の職員で芦屋市に住んでいる人は2割しかいないんですよ。そんなことで市民のことがわかるはずがない」と訴える女性もいた。また、「娘が小学校1年生の時に担任が3人も変わったんですよ」と訴える子連れの母親も。

 とはいえ、集会はそれほど多くの人が来ていた様子ではなく参加者は十数人だった。

 終了後、筆者が「若い人が政治家になりたいのなら普通は市議などから始めるのでは?」と聞くと、高島氏は「市議会議員と市長はやることが全く違います。市議が市長のためのステップではありません。市長として芦屋のための政策を打ち出していきたい」と話していた。

高級住宅街のイメージも高齢化の問題

 芦屋市は、東京の田園調布(大田区)などと並び称せられ、昔から、阪神間の高級住宅街の代名詞のような存在で、面積は狭いが六甲山麓から海まで南北に伸びる。昔から大阪で成功した大企業の社長、役員などが芦屋に居を構えることが多かった。芦屋に住むことは阪神間の住民の憧れでもありブランドでもあった。

 それを十分に意識した市は、パチンコ店の出店や、飲食店や商業施設などの派手な看板を禁じるなどして「高級住宅街」のブランドを守らんと様々な政策を 打ち出していた。2006年頃には、六麓荘(ろくろくそう)という芦屋市屈指の高級住宅街の自治会が「環境が悪くなる」との理由で400平方メートル以下の土地の売却を禁じたりしたことが話題になった。

 ブランド化は成功したかもしれないが、実際には急速な高齢化の問題に直面している。また、2018年9月には台風による高潮で芦屋浜の住宅街が軒並み浸水するなど思わぬ災害にも見舞われ、災害対策も急務になっている。

 高島氏もこう指摘する。

「この6年で30代、40代の人は5000人も減っているんです。芦屋市は高齢化が急速に進んでいるのに30代や40代の介護関係者はみんな大阪などに出てしまうんですよ。原因は彼らの待遇が悪いからなんです」(高島氏)

 そして、市長としての夢をこう語る。

「市政が一番、政治を身近に感じることができるし、それを実行するのが市長の立場です。芦屋を世界一住みやすい国際文化住宅都市にしていきます」

 芦屋市は、1991年に全国初の女性市長(北村春江さん・故人)を誕生させた先駆的な市でもある。史上最年少市長が、30歳までの一期で何を実現させるかが問われる。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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