独自のICTサービスで建築現場を変える――平野耕太郎(日立建機執行役会長CEO)【佐藤優の頂上対決】

  • ブックマーク

Advertisement

米州での再出発

佐藤 こうした事業展開とともに、昨年、日立建機は大きな転換点を迎えましたね。一つは米国ディア社との提携解消、そしてもう一つは日立製作所との親子関係の解消です。

平野 ディア社はアメリカの農業機械・建設機械の大手で、1988年に提携して以来、もう30年以上にわたって米州――北中南米での販売とサービスを委託してきました。弊社が米国進出を始めた1980年代は、まだ現地に自社の力だけでネットワークを作っていくのは難しかった。それでディア社が販売とサービスを受け持ち、私どもが油圧ショベルなどの製品開発や生産を行うという分担でやってきたのです。

佐藤 いわばディア社は米州における販売からサービスまでのパートナーだったわけですね。

平野 ええ、その販売網で弊社の機械を売っていましたから、大きなメリットがありました。しかしその後、事業環境が変化して「機械+情報」の時代になってきた。そこで問題になったのは、米州機械の稼働データはディア社の管理で、こちらに情報が入ってこなかったことです。

佐藤 コンサイトが使えなかった。

平野 搭載することさえできませんでした。このためお客様が私どもの機械に満足しているかどうかがわからなかったのです。

佐藤 情報の空白地帯ができてしまったのですね。

平野 米州は建設機械の世界最大の市場です。今後の機械の電動化や遠隔監視、自律運転ではより一層データが重要になりますから、米州でのデータ収集は不可欠です。よって自社で事業を展開する必要がありました。

佐藤 いつから交渉を始めたのですか。

平野 私が社長に就任した2017年からです。提携解消までに4年掛かりました。

佐藤 結婚より離婚の方がより多くの労力が必要だといいますからね。落とし所が非常に難しかったのではないですか。資料を拝見すると、米国とブラジルの2工場をディア社に譲っています。

平野 提携解消のベースにあったのは、お客様や代理店に迷惑をかけないということでした。私どもには販売拠点が不可欠で、彼らには製品が必要でした。そこで私どもが日立ブランドのみを扱うディア社の代理店との契約交渉をする一方、私どもの製品と部品をディア社の開発が終わるまで供給することで合意した。

佐藤 これで、北米でコンサイト搭載の建設機械が売れる。

平野 北米だけでなく南米もあります。南米は、マイニング(採掘)の大市場なのです。

佐藤 鉱山ですね。

平野 特に銅鉱山です。ディア社は農業機械が中心の会社だったこともあり、南米でマイニングの機械が思うように売れていませんでした。鉱山では機械を1台ずつ買うのではなく、まとめて買うのが一般的です。だいたい超大型の油圧ショベル1台につき5~10台のダンプトラックがセットになる。

佐藤 それは大きなビジネスになりますね。

平野 鉱山現場は24時間365日稼働しています。必然的に機械の消耗が激しくなり、修理も多くなります。ダンプが自律運転で走っている鉱山もあります。このため私どものコンサイトが非常に生きてくるのです。

佐藤 マイニングでは環境問題への対処も必要です。

平野 ダンプトラック1台にかかる経費の半分は、ディーゼルエンジンの燃料費です。だからCO2削減は喫緊の課題でした。現在、私どもはバッテリーとトロリー充電を併用して走行するフル電動ダンプトラックの開発にチャレンジしています。

佐藤 トロリーバスのように架線から電気を得るのですか。

平野 はい。鉱山の上り坂のところに架線を張り、トラック上部のトロリーで集電して上がっていくんですね。そして平地に着いたらバッテリーで走り、下り坂はブレーキで電気を起こして走りながら充電する。ダンプは充電するために停車する必要がありません。

佐藤 夢のダンプですね。もう実用化間近なのですか。

平野 今年中に組み立てをし、来年初めにはアフリカのザンビアで稼働実験を開始する予定です。ダンプの自律運転やバッテリー技術と同じように、これは日立グループとも連携して開発を進めています。

次ページ:販売台数から稼働台数へ

前へ 1 2 3 4 次へ

[3/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。