90歳でついに“ハゲ”の仲間入り? 作家・五木寛之さんの新たな覚悟とは

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 今年は親鸞生誕から数えて850年、浄土真宗の開宗から800年にあたるという。珍しいことに、京都では西本願寺と東本願寺をはじめ浄土真宗の10派がともにさまざまな記念事業に取り組んでいるそうだ。

 近く南座で上演される舞台「若き日の親鸞」の原作者で、長年、親鸞を探究しつづけてきた作家・五木寛之さんは、昨年、親鸞が逝去したのと同じ90歳を迎えた。

 しかしいまだに数多くの連載を抱え、また風貌もとてもその年には見えない。

 トレードマークのフサフサのロングヘアーも健在……かと思えば、最近、そこに異変が見られたのだという。

 ついに訪れた頭頂部の変化。そこから生まれた「ある覚悟」について、新刊『うらやましいボケかた』の中でユーモアをまじえてつづっている。以下、同書から紹介しよう。

 ***

ようやく「禿」の仲間入り

 やや下火になったかに見えるコロナ禍だが、いまだにマスク着用の日々が続いている。

 コロナの蔓延は、私個人の生活にも大きな変化をもたらした。

 これまで何度も書いたが、夜型人間から朝型人間に移行したのもその一つである。六十年ちかく続いた生活が一変したのだ。

 朝、七時に起床、夜は午前零時に眠りにつく生活が、すっかり定着してしまった。

 ときどき手を洗うようになったのも大変化の一つだろう。私はそれまでほとんど手を洗う習慣がなかった。

「手を洗うくらいなら、足を洗う」

 と、豪語していたくらいである。道に何か落ちていると拾って食べるという、引揚げの時代の難民体験が、すっかり身についてしまっていたのだ。

 早寝早起き、そして手洗い、じつはそのほかにも一身上の大変化がコロナとともに起こった。

 先月、手を洗うときに、ふと鏡を見たら、髪の具合いがなんとなく変であることに気付いた。前頭部のあたりにピンク色の地肌がすけて見えるのだ。

 指でかきあげてみると、なんと!その辺一帯ごっそりと毛が抜けているではないか。

 私は初老期を過ぎてからも、髪の毛がうっとうしいほど多かった。

 年に何回かしか洗髪をしないのを、自慢にしていて、

「盆暮れにはちゃんと洗ってますから」

 と、自慢していたくらいである。

 それもこれも、自分は一生ずっとこのままだろうという自信があったからだ。

 その理由なき過信が、その朝、一挙に瓦解したのである。それまで自分の毛髪の具合いなど、ほとんど観察したこともなかったのだ。

 丁寧に観察してみると、頭のてっぺんや後頭部は以前のままである。しかし、前頭部から側面にかけての傾斜部分は奇麗に抜けている。いかにも健康そうなピンク色の地肌だ。

 額の生え際にはある程度、残っている。それをうしろに解かすと、なんとかカバーできないこともない。

 テレビで見る米国大統領やロシアの独裁者ほどではないが、かなりそっくりだ。

〈夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡〉

 と、思わずつぶやいてしまった。

親鸞の禿はハゲではない?

 これもコロナのせいだろうか。頭にマスクはかぶれない。飛沫感染もエアロゾル感染もありうる。

 こんなことなら手洗いよりも、洗髪を励行すればよかった、と、後悔ほぞを噬(か)むが後の祭りだ。

 考えてみれば多少とも髪が残っているだけでも有難いことではあるまいか。あと数カ月で満九十歳の壁をこえる身である。

〈よし、これからは――〉

 と、ひそかに決意した。

〈新しい名前をつくろう〉と。

 親鸞は法難によって越後に流されたとき、新しい名前を名乗った。

〈愚禿親鸞(ぐとくしんらん)〉

 というのがその名である。

〈禿(とく)〉は一般に髪のない状態と思われがちである。〈禿頭(とくとう)〉といえば、はげ頭のことだ。

 では親鸞はツルツルの坊主頭になったのか。

 私はそうは思わない。なぜならそのとき親鸞は、

「僧にあらず 俗にあらず」

 と、宣言しているからである。「非僧非俗」の宣言として有名だ。では、坊主でもない、市井の俗人でもないとすれば、それはどのような立ち位置だろう。

 僧と俗の中間か? それはない。親鸞は徹底した思想家だった。

 私見では、非僧非俗とは、僧侶と一般人の、どちらにも属さないという決意だったのではあるまいか。

「禿」という字は、当時は「カブロ」とも読まれた。未成年の少年たちは、髪を結わない。ザンバラのおかっぱ頭である。これを「カブロ頭」といった。

 また、「非人」として一般市民の埒外(らちがい)におかれた人びとも、カブロ髪だった。つまり「聖・俗・非」の、「非」にあたる人びとのシンボルが「禿髪(かぶろがみ)」だったのである。

法名は「釈浄寛」

「禿」を名乗った親鸞は、「僧」でも「俗」でもない、もう一つの最底辺に身を置く宣言をした、というのが、私の勝手な妄想である。あらゆるものに差別された人びとの中に身を置くという決意宣言だ。

 私のこの意見は、いわゆる専門家からは苦笑で迎えられている。エンタメ作家の奇矯な発想として、誰にも相手にされていないのが現状だ。

 しかし、親鸞の「禿」の名乗りは、ハゲ頭という意味ではあるまい。たぶん越後時代の親鸞は、風にザンバラ髪をなびかせながら日本海をみつめていたのではあるまいか。

 私の父親は、戦後、外地から引揚げてきて、不遇な死をとげた。法名(ほうみょう)を〈釈浄信〉という。実名が信蔵だったから、一字をとって〈浄信〉なのだろう。さっぱりしたものだ。

 若くして亡くなった弟の名前は邦之(くにゆき)だった。そして法名は〈釈浄邦〉。

 私の場合は寛之の寛をとって、勝手に〈釈浄寛〉ときめている。ひそかに〈禿浄寛〉でもいいかな、とも思うが僭越だろう。

 いずれにせよ、私もようやく世間一般でいう「禿」の仲間入りをはたした。九十歳を目前にして、なにか新しい人生の覚悟がきまったような気分である。

 鏡の中の頭を眺めて、思わず笑いがこみあげてきた。

デイリー新潮編集部

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