コロナ禍はどうなった?音楽評論家がイタリアで見た光景 滞在中、日本のニュースにがく然としたワケ

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失われた40年は避けられない

 ここまでオペラの話をしてきたが、それはひとつの具体例にすぎない。日本では、用心をするに越したことはない、と考える人が多いようだが、現実には、用心およびそれを求める同調圧力のせいで文化レベルは停滞し、社会や経済が開かれていかない。

 事実、いち早くウィズ・コロナに舵を切ったアメリカのGDPは、コロナ前の2019年を100としたとき、21年に103、22年には105と、すでにコロナ前よりも高い水準になっている。EUも22年には102とコロナ前の水準を上回った。ところが、日本は21年が97で22年が98。まぎれもなく日本の過剰な「用心」がもたらした結果である。

 ほかにも、マスクをしていると前頭葉の働きが8割に低下する、などといったマスクのデメリットを明らかにするデータは多い。自然な呼吸を阻害するマスクが、健康へのリスクをともなわないはずがない。それでもマスクを着用するのは、より大きなリスクがある場合、それを避けるためである。

 イタリア滞在中、「コロナの流行は今後も続く」という日本のネットニュースを読み、専門家が「流行が再拡大したら感染対策をふたたび強化させる必要がある」とコメントするのを読み、愕然とした。

 むろん、風邪やインフルエンザが流行するように、新型コロナもまた流行することはあるだろう。だが、それが社会に甚大な影響をおよぼさないかぎり、ことさらに意識させて社会および経済活動の足を引っ張るべきではない。上記の専門家のような発言を聞くたびに、コロナは医師および専門家の利権となっていると痛感するが、こんな利権を認め続けるかぎり、日本が「失われた40年」に突入するのは避けられないだろう。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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